※この文章は、「『やる気』のない商店について(前篇)」の続きです。
あるいは、買い物のために個人経営の店に立ち寄る客が店主や店員とのあいだで交わす世間話が地域の結びつきを促進するという意見も散見します。
けれども、私の狭い経験の範囲では、同じ地域にどれほど長く暮らし、個人経営の同じ店をどれほど長く利用していても、それだけで「無形のサービス」なるものに与ることができるわけではありません。このようなサービスは、現実には、店主と親しい(大抵の場合は同世代の)特定の客のためだけのものでした。また、客とのあいだで交わされることになっている世間話についても、その輪を形作るのは、やはり、店主に気に入られた特定の客だけです。私の目には、個人経営の商店の店主の行動は、客を相手とするまっとうな「商売」というよりも、むしろ、常連客への「甘え」と映りました。
それでも、たとえば家電製品の場合、通販や量販店が普通ではなく、他に選択肢がなかった時代には、たとえ近所の電気屋の主人の感じが悪く、購入した商品の一切の修理、返品に——初期不良でも——応じない1 としても、また、一切の世間話に応じないとしても、個人経営の店で買う以外に途はありませんでした。
当然、家電製品を量販店で購入することが一般的になるとともに、小さな電気屋から客が離れ、そして、小さな電気屋は姿を消して行きました。すべての客を最低限の礼儀をもって扱う量販店で買い物することができるなら、感じが悪く割高な個人経営の店でものを買う理由などないと考えるのは自然なことでしょう。実際、私が小学生のころ、自宅から徒歩10分の範囲に個人経営の小さな電気屋が7軒もありました。しかし、これらのうち、現在でも営業を続けているのは2軒にすぎません。(同じようなことは、本屋、文房具屋、八百屋、酒屋などについても言うことができます。)
個人経営の商店がチェーン店に駆逐されたのには、いくつもの理由が認められるでしょう。消費者の行動が変化した、後継者がいない、価格競争に負けた、専門店の存在理由がなくなった・・・・・・。しかし、少なくともわが国の場合、個人経営の商店が姿を消した最大の理由は、「やる気」、つまり——一見の客のことまで考える必要はないとしても——それなりの頻度で購入する客の立場に身を置いて商売する姿勢を欠いていた点にあるように思われるのです。
- 私には、このような経験が実際にあります。 [↩]