Home 世間話 「ミールキット」を食生活に取り込むことを諦めた3つの理由

「ミールキット」を食生活に取り込むことを諦めた3つの理由

by 清水真木

 しばらく前、「ミールキット」と呼ばれているものを取り寄せ、普段の食生活の中に取り込むことができるかどうか、数週間にわたり試したことがあります。そして、その結果、少なくとも私には「ミールキット」が向かないことがわかりました。

 「ミールキット」とは、あるレシピに従って料理を作るのに必要な素材——大抵の場合は2人分——とそのレシピからなるパッケージを意味します。食品の宅配を専門とするいくつかの業者がこのようなパッケージを販売しています。パッケージに含まれる材料を用いてレシピのとおりに作業を進めることにより、効率よく、また、食品の「ロス」もなく、それなりの品質の料理を完成させることができます。

 ミールキットを活用するなら、献立を考える労苦から解放されるとともに、自分で素材をゼロから調達することなく、それなりの品質の料理にありつくことができます。また、完全に出来合いのもの——たとえばスーパーマーケットで売られている惣菜や冷凍食品——とは異なり、ミールキットによる料理は、一応は自宅の台所で「手作り」されたものですから、この点にこだわる(ことを余儀なくされている)主婦にとっては——いくらか割高であるとしても——大変に便利な商品であることになるでしょう。

 しかし、私自身は、何回か試した結果、ミールキットを自分の食生活に取り込むことを諦めました。理由は3つあります。

 第1。ミールキットを用いて素人が手作りしたものは、スーパーマーケットで購入可能な惣菜や冷凍食品とくらべ、料理の仕上がりの点では明らかに劣ります。「自宅の台所で手作りした」感(?)を演出する必要に迫られているのでないかぎり、割高なミールキットを使う理由はないように思われました。

 第2。たしかに、ミールキットは、献立を考える労苦から私たちを解放します。それとともに、食生活は、ミールキットによりいくらか多様になります。ただ、ミールキットを食生活に取り込むことは、食事を組み立てる自由の一部を他人に譲り渡すことでもあります。換言すれば、食べたいものを食べたいときに食べる自由を制限されることになるのです。ミールキットは、「明日は何を食べようかな」と考える自由をいくらか奪います。この意味において、ミールキットとは、「セルフ給食」であると言うことができます。

 第3。私は、毎日の食事では、「慣れた味」の料理を口にすることを好みます。慣れた味の方が安心だからです。この点については、多くの人が意見を共有しているはずです。そして、この観点から眺めるなら、ミールキットは、普段の食生活に闖入する「異物」となります。私自身は、ミールキットを用いて作られた料理を口にしても、馴染みのない味のせいで、自宅での食事に必要な「安心感」を得ることができませんでした。

 もちろん、自宅での食事に「冒険」と「刺戟」を求める人々にとっては、ミールキットは十分に価値あるものであるに違いありません。

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