昨日、次の記事をネットで読みました。
上の記事において紹介されている事態が優先的に改善されるべきものであることは間違いありません。この点において、龍谷大学の学生と卒業生の認識は妥当であると私は考えます。
しかし、開講されたゼミの数が少ないことが原因でゼミを履修することができなかったとしても、これは、学習権の侵害には当たりません。これは、学習権の侵害に関する法的な理解を参照するまでもなく、常識的かつ形式的に考えるならただちに明らかになります。
ゼミに入れなかったことが学習権の侵害に当たると言うことができるためには、「ゼミが必修科目である」か、あるいは、「『学生はゼミに必ず入ることができる』ことを大学が学生に約束した」か、これら2つのうち、少なくとも一方が前提となります。もちろん、今回のケースは、これら2つのいずれにも該当しません。
龍谷大学のようにゼミが選択科目であり、かつ、定員が設定されている場合、大学には、「希望するゼミに必ず入れる」などという無責任な約束をすることはできません。ゼミを必修とし学生全員に「ゼミ配属」を求めているのでないかぎり、大学は、「何らかのゼミに入ることができる」という約束すらしないはずです。
実際、ゼミに入れなかったことが「学習権の侵害」に当たるという論法が通用するなら、一部の選択科目の履修者を抽選によって決定すること——どの大学でも行われています——あるいは、同じ学年に配当された複数の選択科目が同一曜日時限に置かれていることなどは、学習権の大規模な制限に当たることになってしまいます。ゼミの問題を云々する以前に、これらの学習権の制限をみずからが受け容れてこなかったかどうか、一度振り返ってみるべきでしょう。
そもそも、大学は、学生に対し、「希望するすべての授業科目を履修させる」などという約束は決してしません1 。このような約束は、実現不可能だからです。
すべての学生が希望するすべての授業科目を履修することができるようにするためには——誰が何の履修を希望するか事前にはわかりませんから——誰がどのような組み合わせで授業を履修しても大丈夫なようにカリキュラムと時間割を編成しなければなりません。
現在の制度のもとでは、修業年限が4年間の学部の場合、学生は、休学を除き合計8年間までしか在籍することができません。したがって、法律を改正し、「希望する授業科目をすべて履修するまで在籍してもかまわない」よう制度をあらためるなら、学生の希望を実現することは、困難ではあっても、不可能ではなくなるでしょう。
しかし、4年間で卒業させることを前提とするかぎり、学生が希望するすべての授業科目を履修させることは明らかに不可能です。
今回のケースが法的に問題であるとしても、学習権の侵害などではなく、(学生が深刻に受け止めているのはよくわかりますが、それでも、)せいぜい、景品表示法上の「不当表示」であるかどうかについて意見が分かれる程度の話にすぎないように私には思われるのです。
- 「希望するすべての授業に出席する権利」は学生に認めています。 [↩]