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「学際性」の逆説について(その1)

by 清水真木

「学問の細分化」をめぐる空気

 世界中の大学や研究機関に所属する研究者、官僚、企業経営者は、50年以上前から、「学問の細分化」――「タコツボ化」とも呼ばれています――なるものを問題と見なしてきました。そして、細分化の解消や、さらなる細分化の阻止を試みてきました。あるいは、少なくとも、学問の細分化を問題と見なして克服するふりをしてきました。

 さらに、最近は、アカデミズムの内部ばかりではなく、広い世間もまた、「学問の細分化は悪である」という意見によって支配されているように見えます。学問の細分化に対抗するには、既存のディシプリンの壁を壊すしかない、その手段としての広い意味での「学際性」(interdisciplinarity) なるものは絶対の善であり、これに公然と反対することは公共の福祉への挑戦である、伝統的なディシプリンにこだわるのは悪であり反動であり抵抗勢力であり、そのような研究者たちは公共の資源を食い潰す寄生虫である・・・・・・、このような声が――私の幻聴でないとするなら――聞こえてきそうな「空気」すら感じられます。研究者たちにとり、みずからの狭い専門分野に――マックス・ヴェーバーが『職業としての学問』において肯定したような仕方で――閉じ籠もり、学問の細分化を克服すべきであるという要請を公然と無視すること、つまり、「空気」に抵抗することは、時間の経過とともに困難になるように見えます。

 実際、研究者たち、特に、自然科学と社会科学、特に応用的な分野では、研究者たちがこのような「空気」に敏感1 だからなのでしょう、学問の細分化を克服するための「学際的」(interdisciplinary) な試みが――強迫神経症のように――いたるところに見出されます。わが国の主だった大学のウェブサイトのトップページをいくつか眺めるだけで、異なる研究分野とのあいだの「交流」「連携」「統合」「融合」などの新しい成果と称するものがつねに大々的に宣伝されているのを誰でも簡単に確認することができます。(続く)

  1. つまり、世間から価値を承認してもらわないと成立しないような分野の研究者ほど、「学問の細分化」という表現に敏感である、ということです。言い換えるなら、世間から「役に立つ」と認めてもらうことを最終的な目標とするような分野のことです。 []

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