10年近く前、自民党が政権与党の地位を回復したころから、わが国が「右傾化」しつつあるという発言を耳にする機会が増えました。発言が増えたばかりではなく、「右傾化」をテーマとする書物もまた、何点も公刊されているようです。
しかし、私自身は、「日本は右傾化しつつある」という意見には、それ自体としては同意しません。「日本の右傾化」は、(現実を見失った人々が囚われている妄想あるいは被害妄想ではないとするなら、)「右傾化」という言葉の誤用が原因で惹き起こされた説明の枠組の歪みにもとづく勘違いだからです。
そもそも、「日本は右傾化しつつある」ことを主張するためには、根拠となる具体的な事実が必要です。また、左翼の知識人や活動家は、その事実を実際に示しているように見えます。(「根拠を示すまでもなく明らか」などという不誠実な発言に出会うことは、さすがに滅多にありません。)
しかし、少なくとも私が確認したかぎりでは、彼ら/彼女らが挙げる事実は、大抵の場合、「右傾化の根拠」であるというよりも、むしろ、
- (1)「右傾化」なるものの「根拠」には当たらないが、「現れ」としては解釈することができなくもない事実、あるいは、
- (2)政府による(目に見える形での)介入や統制の強化
のいずれかにすぎないように思われます。(両方に該当するものもあります。)
そして、これら2つは、日本が右傾化していることを主張するための根拠として十分なものではありません。
たしかに、左翼の知識人や活動家が(2)に区分する政府の施策のうち、そのいくつかは、一般に「右派」に分類される人々によって支持されています。しかし、右派が一致して政府の介入や統制のすべてを歓迎しているわけではありません。
そもそも、介入や統制を政府に期待するというのは、右派の基本的な態度とは必ずしも相容れません。正確に言うなら、政府によるコントロールを歓迎するのは、右派ではなく、権威主義者や全体主義者や国家社会主義者であり、権威主義や全体主義や国家社会主義は、現代の世界では、共産主義を掲げる政党が支配する国家に共通に認められる特徴です。
左派の知識人や活動家は、私の見るところでは、「右派」「右翼」などの言葉を「政府による介入や統制を歓迎する立場」という誤った意味で使用しています。しかし、「右派」を自任する人々は、この規定を受け容れないはずです。(少なくとも私は受け容れません。)(後篇に続く)