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「訳あり」への警戒について

by 清水真木

 ネットで販売されている食品の説明に、「訳あり」という表現を見かけることが少なくありません。もちろん、この表現は、普通の商店の店頭でも出会われる場合があります。

 そして、このような「訳あり」の商品は、その「訳」に応じていくらか値引きされているのが普通です。(私がもっともよく見かける「訳あり」の商品は、「割れた煎餅」です。この場合の「訳」とは、割れていることであり、割れていること以外、円い煎餅とのあいだに何ら違いは認められないことになるでしょう。)

 しかし、私は、値引きされた「訳」を具体的に確認することができなければ、「訳あり」の商品を購入しないことにしています。ネット通販において「訳あり」の商品に手を出すことがためらわれるのは、値引きされる理由となった「訳」が不明である場合が少なくないからです。普通の商店では、「訳」の説明が商品に添えられているケースはさらに少ないように思われます。

 以前、ネットで「訳あり」とのみ表示されていたある商品を見つけ、これが、不当に安いように思われたため、値引きされている「訳」に関する説明を問い合わせフォームを用いて販売者に求めたところ、具体的な説明は何もなく、ただ「気に入らないなら買うな」という意味の返事だけが戻ってきたことがあります。たしかに、この販売者の場合、商品の説明に、「訳ありだから、気に入らなければ買うな」と記載していました。「訳」がいろいろあり、いちいち説明するのが面倒くさいか、あるいは、自分も「訳」を把握していないのか、いずれかであるに違いありません。

 たしかに、どのような瑕疵を「訳」と見なすかは、人によってまちまちです。売る側が「訳」を具体的に説明したせいで、これが、購入した客があとから別の——売る側も把握していなかったような——「訳」を見つけるきっけかとなり、苦情を申し立てられる危険がゼロではないかも知れません。

 商品の売買というのは、コミュニケーションの一種ですから、その気になれば、曲解が際限なく入り込む余地があります。あらゆることがクレームの原因となる可能性があります。クワインやデイヴィッドソンの指摘を俟つまでもなく、意思疎通というのは、当事者のあいだの「善意の原則」(principe of charity)、つまり、相手が自分と同じ程度には「まとも」であるという想定のもとで初めて成立するものだからであり、この想定なしにコミュニケーションに臨む者の前では無力だからです。何を尋ねられても「気に入らなければ買うな」とのみ返事するというのは、このような(ディス)コミュニケーションから身を守る智慧なのかも知れません。

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