昨年の7月以降、「はてな」のブログサービスを利用して文章を書いてきました。今日のこの文章をアップロードすると、250日続けて更新してきたことになります。
これを機会に、というわけではありませんが、明日からは、「はてな」に新しい文章を載せるのをやめ、ブログを移転することにしました。
新しいブログのURLは https://moralist.jp となります。(新しいサイトの名前も同じく「moralist.jp」です。)引き続き、上記のURLにアクセスをお願いできれば幸いです。
これまでのすべての文章は、(この文章を含め)すでに移行を終えており、新しいサイトで読むことができるようになっています。また、いただいたコメントも、丸ごと移行させました。
ただ、「はてな」固有の「スター」と「読者」だけはどうしても引き継ぐことができませんでした。この点、お詫びいたします。
なお、ブログの本文はすでに移転していますが、文章につけられたリンクの処理、あるいは、レイアウトの調整は進行中です。(3月28日現在、新しいサイトの方は、まだ相当にみっともない状態です。)今のところ、この作業は、4月下旬、連休が始まるころまでかかる見込みです。この作業が完了したのち、「はてな」の方は非公開とするつもりです。
私が「はてな」を出て行くことにしたのには、大した理由はありません。ただ、今年に入ってから、何とはなしの息苦しさを覚えるようになりました。サーバーを借りてブログを移すことにしたのは、この息苦しさから逃れられることを期待したからです。
この数年のあいだ、特に新型コロナウィルス感染症の流行が始まってから、「ブログ」をめぐるネットの環境が大きく変化しました。具体的には、ブログが読まれなくなりました。特に、このブログのように、個人が意見を表明するタイプの文章をネットで読む人口が急激に減少しているという印象を私は持っています。(もちろん、私のブログがあまり読まれていないからと言って、読まれているブログがどこにもないわけではありません。)
最近10年から20年くらいのあいだ、サイバー空間は、市場主義的、商業主義的な方向へと変質してきたように思われます。それとともに、サイバー空間における人々の行動は、受動的、消費者的、「お客さま」的なものへと完全に姿を変えました。LINEで連絡を取り合ったり、動画を眺めたり、SNSで噂話を収集、拡散したり・・・・・・、これは、それぞれのプラットフォームに誘導され、パターン化したふるまいであり、「ネットの自由」なるものがどこかにあるとしても、それは、このようなふるまいの延長上に姿を現すはずがありません。(当然、ネットに対する人々の態度は、「監視」との関係を無視して語ることはできませんが、ここではこの問題には触れません。)ネットとの関係において、現代の社会は閉塞しており、今後、この閉塞状況はさらに深刻なものとなるに違いありません。
このような状況のもとでは、SNSに情報と時間を投下することによりいわゆる「デジタル小作人」(digital sharecropper) の位置を占めるのではなく((Facebookに毎日のようにログインしてながい時間を過ごす人々は、典型的な「デジタル小作人」です。Facebookに個人情報と時間を搾取されているからです。))、むしろ、微力であるとしても、いや、無駄な抵抗にすぎないかも知れないとしても、「お客さま」となることを断固として拒絶し、各人がそれぞれの流儀でネットに能動的に参入し、自由を取り戻す努力を続けるべきであると私はひそかに考えています。
「はてな」でブログを更新することは、それ自体としては、「デジタル小作」(digital sharecropping) には当たらないのかも知れません。それでも、私自身は、「はてな」のエコシステムを充実させることに貢献させられているという少し嫌な感じをどうしても追い払うことができませんでした。これが「はてな」を離れることに決めた直接の理由です。
ブログというのは、技術的には「枯れた」サービスであり、この意味において、過去の遺物です。しかし、それだけに、FacebookやTwitterにはない(アジールとしての)自由、あるいは、少なくとも自由の可能性がここにはあるはずです。また、その可能性を見きわめるためには、サーバーを借りてブログを移すのが捷径であるように思われるのです。