何日か前の朝、大学に行くために電車に乗り、座席に坐っていたとき、目の前に立っている乗客の1人のショルダーバッグに、赤地に白の十字とハートのマークが描かれたタグがつけられているのが目にとまりました。私は(このタグの正式名称が「ヘルプマーク」であることを失念していましたが)配慮や援助を必要としているサインであることを思い出し、この乗客に席を譲りました。
私の記憶に間違いがなければ、「マタニティマーク」をつけた女性に席を譲ったことはこれまでに何回かありますが、ヘルプマークに反応したのは初めてです。両方とも全都道府県で配布されており、かつ、マタニティマークよりもヘルプマークの対象となる人口の方がはるかに多いでしょうから、形式的に考えるなら、ヘルプマークを街頭で見かける機会の方が多くなければいけないはずですが、現実には、ヘルプマークが実際に使用される場面を見る機会は決して多くはありません。(ヘルプマークが対象とする人々の多くがそもそも外出しないからかも知れません。)私自身、ヘルプマークの現物をそれと認識したのは今回が初めてです。
ところで、世間では、本当は妊娠しているにもかかわらず、マタニティマークを身につけない女性が少なくないようです。次の記事によれば、嫌がらせを受ける危険があるというのが、その大きな理由です。
マタニティマークの何が腹立たしいのか、私にはサッパリわかりません。たしかに、マタニティマークは、「支援してほしい」「配慮してほしい」というメッセージを無言で発しています。また、周囲の人々がつねにその要請に応えられる状況にあるとはかぎりません。それでも、マタニティマークやヘルプマークは、周囲がこれに気づき、自発的に支援することを促す手段としてすぐれていると私は考えています。
今から20年くらい前、混雑している電車で着席していたとき、ある老人が私の目の前に立ち、自分の障害者手帳を私の鼻先に無言で突き出したことがありました。「自分は障害者なのだから席を譲れ」というメッセージなのでしょう。私は、心に浮かぶ不快を抑えながら、すぐに席を譲りました。(もちろん、礼の言葉は何もありませんでした。)この老人が非常に不機嫌であり、席を譲らなかった場合、混雑した車内で大変な騒ぎが起こる危険があるように思われたからです。