※この文章は、「地表面への愛について(その1)」の続きです。
再開発された地域の居心地の悪さの原因は、しかし、上の方にのみ見出されるわけではなく、下の方、つまり、足下にも認めることができます。つまり、大規模な再開発によって誕生した街では、多くの地点において、「本当の地表面」がどこなのかわからなくなっているのです。六本木の再開発は、その典型です。
六本木ヒルズの周辺も、東京ミッドタウンの周辺も、再開発の前後で地形が完全に変わりました。もともと斜面だったところに複雑な人工地盤が作られたのです。人工地盤とは言っても、たとえば新宿駅の南口のように、それ自体が構造物として自己主張しているのなら、地面ではない場所を歩いていても気になりません。新宿の場合、本当の地面がどこにあるのか、誰でも確認することができます。これに対し、六本木では、人工地盤は一切自己主張しません。したがって、普通の歩行者には、人工地盤と本来の地表面の区別がつきません。しかし、足を置いているのが地面の上であるのか、それとも、人工地盤の上であるのかを判別することができないというのは、必ずしも好ましくないように思われます。
もちろん、地面に関する本物と偽物の区別など、相対的なものにすぎません。たとえば、四ッ谷と飯田橋の中央線沿いに続く外濠と「土手公園」(正式の名称は「外濠公園」)など、人工的な地形以外の何ものでもありません。地表面は、それ自体として変化する可能性があるものなのです。
ただ、ビルや橋梁に耐用年数があるのと同じように、人工地盤にもまた、耐用年数があります。(もちろん、地面には耐用年数などありません。)六本木ヒルズの建物を支える人工地盤は、全体として、今世紀中に耐用年数を迎えます。今から100年後の六本木には、森タワーの姿はないでしょう。
都市というものは、本質的に人工的な空間です。人工的な部分に関するかぎり、私たちの環境は絶えず変化しています。古い建物が姿を消し、そして、新しい建物が毎日のように作られています。しかし、人工的な部分がとどまることなく変化するのであるなら、それだけに、都市における変化しない部分としての地面は、都市における不変のもの、少なくともわずか数十年で姿を消すようなことはないものとして尊重されるべきであるように思われるのです。