昨日(8月10日)は、私の祖父の命日でした。亡くなったのが1988(昭和63)年ですから、34回目の命日に当たります。
私は、毎年8月10日、あるいはその少し前に、墓参することにしています。もちろん、行くのは、清水家の墓地がある高尾霊園です。自宅からの所要時間は、三鷹駅で中央線の特別快速に乗り換えられれば、約1時間30分、全行程が快速なら、2時間弱です。
8月10日に所用があるときには、前倒しすることもありますが、今年はたまたま、当日に行くことができました。
この行事は、高尾にお墓ができてからこれまで、一度も欠かしたことがありません。大抵の場合、高尾に行く日は非常に暑く、熱中症にならないよう気をつけています。高尾霊園は、私の自宅がある杉並区よりもいくらか気温が低いはずですが、それでも、昨日の日中は、日向に出ると皮膚に痛みを感じるくらいの暑さでした。(墓石に蓄えられた熱のせいかも知れません。)
墓参は、それ自体としては面白くもおかしくもない仕事です。むしろ、高尾へひとりで出かけるたびに、昔のことを思い出して気分が暗くなります。
それでも、年に数回の墓参は、私にとっては数少ない年中行事の1つであり、かつ、立場上、今のところはもっとも重要なものです。他の年中行事は、中止しても他から責められることはありませんが、墓地の手入れだけは、私の都合でやめるわけには行かないからです。
墓参には、時間や手間がかかるだけではありません。墓参することにより私の方の健康が削られるような気がすることもあります。今から10年くらい前、墓石が見えなくなるくらい雪が積もった翌朝に高尾に出かけたとき、雪に埋まっていた敷石に躓いて転倒し、その後、雪に埋もれて起き上がれず、しばらくのあいだ、倒れたまま空を眺めていたことがあります。
少しは楽しくなるよう、何か工夫ができればよいのですが。