今月の初めから、沖縄のいわゆる「基地反対運動」に関連し、ある有名なネット上のインフルエンサーのツイッターへの投稿が公共の言論空間において繰り返し取り上げられています。
私は、この投稿に対する多種多様な反応には興味がありませんし、投稿した当の「ひろゆき」氏のその後の発言を追跡しているわけでもありません。
この投稿に関する私の意見は、次の2点に尽きます。
(1)この投稿は、見方によっては、いわゆる「基地反対運動」の意義と目的について冷静に考えるための手がかりとなる。
(2)当のツイートは、左派の活動家や一部のマスメディアを挑発するために投稿されたものであり、中立的な議論と合意形成への導入として適切なものではない。
とはいえ、「ひろゆき」氏のツイートについてどのような感想を持つかには関係なく、また、沖縄にアメリカ軍関係施設が集中している事実をどのように評価するかにも関係なく、沖縄における「基地反対運動」なるものの意味について考えることは、誰にとっても無駄ではありません。なぜなら、沖縄の基地問題の帰趨は、日本の現在および未来に大きな影響を与える事案だからです。日本人なら誰でも、この点に同意せざるをえないでしょう。
日本人の多くは——沖縄県民を含め——沖縄県名護市のキャンプシュワブのゲート前で昔から行われてきた「抗議行動」とされるものの根本的な性格についてつきつめて考えてきたことがないのではないかと私は勝手に想像しています。少なくとも私は、現地において抗議行動の意義に関する明瞭な説明を見たことがありません。
「抗議行動を組織しているのは左翼の活動家と日本に敵対的な外国の勢力である」1 、あるいは、反対に、「沖縄の県民感情の発露であり、これにケチをつけることは沖縄県民を傷つけること」などの薄っぺらな主張が轟音のように鳴り続けるばかりであり、共通了解が生まれる気配すらありません。
しかし、誰が考えても明らかなことが1つだけあります。それは、キャンプシュワブのゲート前でどれほどたくさんの人々がどれほど長期にわたって抗議行動を続けても、「新基地」の建設が、この抗議行動自体によって中止される可能性はゼロであることです。(後篇に続く)
- これは右翼の憶測ではなく、政府の公式見解でもあります。公安調査庁は、毎年公表している報告書「内外情勢の回顧と展望」において、日本共産党と関連する過激派が沖縄の基地反対運動(と全国の反原発運動)に長年にわたって深くコミットし、指導的な役割を担っていることを繰り返し記しています。 [↩]