縦型の封筒が多用される日本では、封筒のベロ(フタ)が小さく、そのため、ペーパーナイフのアドバンテジについて実感がないかも知れません。(開封に使うのが鋏でもペーパーナイフでも、手間に大きな違いはない、ということです。)しかし、横型の封筒——ベロ(フタ)の面積が広く、かつ、開封のために切り開く部分が長い——が広く用いられている外国では、糊づけに関し、開封の便宜を考慮したこのような心遣いは必須です。
私の知るかぎりでは、わが国でも、ベロ(フタ)の全面を糊づけせず、両端に隙間を残すことは、ながいあいだ当然の作法であったと理解しています。
ところが、最近になり、受け取る郵便物の中に、両端に隙間がないものが増えてきたように思われます。特に、民間企業が業務の一部として送り出す請求書、領収書、支払調書などの郵便物に、封緘に関する作法に従わない——両端に隙間のない——ものが珍しくなくなりました。このような郵便物はすべて、封入、封緘に機械を使うほどの量ではないからなのか、個人情報が含まれるからなのか、人間の手で糊づけされています。
封筒に入った郵便物を日常的にやりとりする習慣がなくなるのは、ある意味において必然的であり、封緘に関する作法もまた——封筒とともに細々と生きる残る可能性がゼロではないとしても——「郵便」の消滅とともに人々の記憶から姿を消すことになるのでしょう。
しかし、郵便に未来はないかも知れないとしても、少なくとも今はまだ、人間関係を支える手段として社会において一定の役割を担っています。この意味において、「封緘に関する作法」もまた、しばらくのあいだはそれなりに記憶され、尊重されなければならないように私には思われるのです1 。
- いわゆる「二重封筒」を除き、ベロ(フタ)の全面が糊づけされ、開封に鋏が必要な郵便物を受け取るたびに、「野蛮」「無知蒙昧」などのワードが心に浮かびます。ただ、ベロ(フタ)の全面に糊づけしてはならないというのは、私の周辺では当然の作法として認識されていましたが、これは、少なくともわが国では、社会の一部でしか認められていないローカルな作法にすぎない可能性があります。実際、この文章を書くため、封緘に関し注意すべき点をまとめたウェブサイトのいくつかに目を通しましたが、私が上で述べたような作法への言及は見当たりませんでした。 [↩]