Home やや知的なこと 歴史教科書における沖縄戦の記述について(前篇)

歴史教科書における沖縄戦の記述について(前篇)

by 清水真木

 しばらく前、次の新聞記事をネットで読みました。

 私自身は、政治的にはどちらかというと保守的です。少なくとも、自分を「左翼」と見なしたことは、これまでの人生において一度もありません。

 実際、右翼によって取り上げられる政治的なテーマのうち、少なくとも「憲法改正」「選択的夫婦別姓」「靖国神社」に関する私の意見は、今のところ、右翼の多数派と同じであるはずです。

 また、マルクス主義的な歴史観、あるいは、その変形としての左翼的で独善的な歴史観には、つねに強い嫌悪感を覚えます。

 それでも、私は、歴史の重要な事実について、これが一部の国民の神経を逆撫でする可能性があるものであるとしても、「沈黙することによって『なかったことにする』」のは許されないと考えています。

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、集団自決等に関し、軍による何らかの命令/強制/誘導があったというのが、この問題に関する歴史的な常識です。少なくとも私自身は、このように理解しています。実際、この点については、根拠となるはずの信頼しうる史料をいくらでも提示することができるはずであり、これが事実である点に疑問の余地はないように思われます。つまり、これは、日本人なら誰もがさしあたり事実として受け止めておくことが必要な知識に属しているのです。

 ところが、上に掲げた記事では、今から15年前、教科書の検定において、軍の関与に関する記述を修正するよう求める意見がついたことが紹介されています。

 「強制はなかった」と明記するのではなく、強制があったと理解することができるような記述を削除するだけであるかぎり、その変化は目につきにくく、上記のような左翼系のマスコミによる大々的な報道がなければ、誰も気づかないままであったかも知れません。前者を「積極的歴史修正主義」と呼ぶなら、後者には、「消極的歴史修正主義」の名がふさわしいでしょう。

 しかしながら、消極的歴史修正主義は、積極的歴史修正主義よりも始末が悪いと私は考えます。そもそも、何らかの歴史的な事実について、これを虚偽として告発するためであっても、その事実がともかくも共有されることが必要であるのに、消極的歴史修正主義は、この前提を消去してしまう試みだからです。(後篇に続く)

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