「本」のタイトルをアマゾンで検索し、ヒットした個別のページを開くと、「紙の本」ではなく、同じ内容の「電子書籍」の方が先に表示されることがあります。そして、「電子書籍」の購入に関し、アマゾンが設定した価格を支払う代わりに、「読み放題で読む」を選択することが可能である場合が少なくありません。「読み放題で読む」とは、”Kindle Unlimited”の名を与えられたサービスを利用することを意味します。
アマゾンは、「電子書籍読み放題」のサービスである”Kindle Unlimited”の他に、事実上の「オーディオブック聴き放題」(”Audible”)、「音楽の聴き放題」(”Amazon Music”)、が「映像作品の見放題」(”Prime Video”)のサービスを定額制で提供しています。オーディオブック、音楽、映像などの受容にとり、このようなサービスが好ましいものであるのかどうか、私には確定的なことは言えません。
たしかに、たとえば音楽の場合、定額制のサービスがなければ決して耳にする機会がなかったような楽曲を知ることが可能となります。多くの作品に触れることの意義が好みの音楽の発見にあるかぎりにおいて、定額制のサービスは、この目標を実現する手段となりうるものです。オーディオブックや映像作品についてもまた、事情は同じです。
とはいえ、このような意図にもとづいて定額サービスを活用するかぎり、私たちは、どうしても、作品の1つひとつを軽く扱うことになりがちです。テレビを前にしてチャンネルを短時間で次々と切り替えることは、一般に「ザッピング」と呼ばれます。そして、定額サービスに加入することにより、映像や音楽に対する私たちの態度は、新しい音楽、新しい映像などを開拓する冒険ではなく、むしろ、テレビを視聴するときの態度としてのザッピングに似たものとならざるをえません。なぜなら、作品当たりの受容に必要なコストが、少なくとも金銭面では、ゼロにかぎりなく近づくからです。
テレビにおけるザッピングは、刹那的な仕方で消費されるコンテンツを探す強迫的な動作であり、手持ち無沙汰なとき、あるいは、単なる「にぎやかし」を探すために始まります。ザッピングは、新しい番組を開拓することを目指す冒険の対極に位置を占めています。私がザッピングによって見つけた番組を終わりまで視聴することがあるとしても、それは、私が同じ番組の次回の放送を視聴することをいささかも保証しません。当の番組が終わるとともに、番組名も内容も忘れてしまうのが普通でしょう。ザッピングという行動が、それ自体としてすでに、ザッピングの結果として辿りつく番組の性質、および、私の生活における当の番組の位置を予告しているのです。少なくとも、冒頭から視聴に専念しなければ理解することのできないような番組を放送するチャンネルでザッピングが止まることはありません。(集中力を必要とする番組を視聴するときには、番組表を事前にチェックし、視聴のための時間をあらかじめ確保するはずだからです。)(後篇に続く)