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私は、「歴史修正主義」という言葉を使わないことにしています。21世紀になってから、歴史に関する解釈や認識が何らかの形で関係する事柄について他人を非難する場面において、あまりにも無造作に用いられてきたからです。わが国では、左翼に属すると自認する者たちが、立場を少しでも異にする人々を中傷するとき——「差別主義者」とともに——「歴史修正主義者」という言葉を好んで相手に投げつけてきました。実際、現代の日本において流通している「歴史修正主義」という6文字熟語は、基本的に「左翼用語」であり、また、大抵の場合、「嫌い」「馬鹿」「死ね」などの婉曲な言い換え以上の意味はないと考えて差し支えありません1 。
実際、戦後の日本において、言葉の本来の意味における「歴史修正主義」なるものが言論空間——特に政治的な言論空間——に無視することのできない影響を与えたことは一度もありません2 日本で生活しているかぎり、プロパガンダをともなう(本当の意味における)気持ちの悪い歴史修正主義に出会うことは滅多にないはずです3 。
しかし、最近、日本の外では、現代の歴史を形作る事実の一部がフィクションによって簡単に上書きされてしまうような事態が発生しています。
- 実際、たとえば、いわゆる「従軍慰安婦」問題のような歴史の「左翼」的な書き換えが非難されるとき、「歴史修正主義」という言葉が用いられることはありません。左翼が想定する「歴史」の「修正」とは、事実を虚偽によって置き換える作業にとどまるものではないということなのでしょう。 [↩]
- 日本の歴史や文化を過剰に礼讃する動画がYouTubeに無数にアップロードされ、相当な再生回数を獲得しているようです。たしかに、このような動画の背後には、現代の日本の政治の現状に対する歴史修正主義的なメッセージが認められないわけではないでしょう。ただ、日本では、「右翼」は、数の点では圧倒的な少数派であり、声が届く範囲もまた限定的であるように思われます。 [↩]
- なお、左翼の政治家や評論家は、日本の「右傾化」なるものに対する懸念を繰り返し表面していますが、すべてのトピックをめぐるすべての世代の立場を平均すると、日本の世論は、全体として、「ゆるやかに左に向かいつつある」という印象を私は抱いています。左翼の人々の目に現代の日本が「右傾化」していると映るのは、左翼の人々の「左傾化」があまりにも急だからです。つまり、平均的な世論の左方向への動きが左翼の人々のスピードに追いつかず、そのせいで、両者のあいだの距離がむしろ広がっており、左翼の政治家や評論家には、世論が右方向に動いているように見えるにすぎないと考えるのが自然です。 [↩]