Home 世間話 片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(前篇)

片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(前篇)

by 清水真木

 片づけの方法を指南する書物を読んでいると、「好きなもの」「お気に入り」などの言葉に出会うことが少なくありません。

 このような書物は、一方において、日常生活においてノイズとなるような「ブツ」を視界から除去する具体的な技術と手順を示すことを目標とするものであり、この意味において実用書と見なすことが可能です。しかしながら、他方において、大抵の場合、片づけを主題とする書物の著者たちは、不用品を取り除くばかりではなく、「好きなもの」「お気に入りのもの」「心がときめくもの」(?)を選び出し、これを身辺に集めることにより、「生活の質」全体が向上することを主張します。身の回りにある「ブツ」を片づけることが大切なのは、この作業が本質的には「心」の「片づけ」だからである、このような点を強調するかぎりにおいて、「片づけ」を主題とする本はすべて、自己啓発書に分類されるのが適当であることになります。この点は、前に述べたとおりです。

 とはいえ、私自身は、みずからの片づけの作業において、「好きなもの」「お気に入り」に出会うことが滅多にありません。もちろん、現在使用中であるか、あるいは、近い将来において使うことが決まっているものを指し示すのは困難ではありません。しかし、用不用とは関係なく身近に置きたいものは、残念ながら、今のところは何も思いつかないのです。

 そもそも、「散らかっている」という印象を生活空間に与える原因となる「ブツ」は、小さい子どもがいるのでなければ、基本的にすべて、「気に入っているわけではなく、必要でもないが、何らかの理由によって捨てることがためらわれるようなもの」ばかりです。

 これは私の想像になりますが、片づけ——あるいは、片づけの方法を指南する本——を必要とするほど散らかった空間で暮らしている人の場合、その散らかった状態を作り出しているものは、不用であることが明らかなものであるというよりも、むしろ、「好きでもないし、必要でもないが、捨てて大丈夫かどうか決められないもの」であるはずです。片づけ本を手にとる人の大半は、「好き」からも「必要」からも「不用」からも見放された「第4極」(?)を持て余し、この「第4極」を始末するための「ヒント」あるいは「励まし」を求めているに違いありません。(後篇に続く)

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