昨日、次の文章を書きました。以下は、これに関連する話です。
新型コロナウィルス感染症の流行以前、世界の有名な観光地はいずれも、「観光公害」あるいは「オーバーツーリズム」と呼ばれる現象に苦しめられてきました。観光地が観光客で溢れ、そのせいで、自然に代表される住民の生活環境が損なわれていたのです。
わが国の場合、観光公害の被害がもっとも大きかったのは京都市でしょう。旅行者として京都をこれまで何回も訪れた私の個人的な印象では、2010年代前半までの京都は、桜と紅葉の時期を除く時期の平日なら、地元の人々の生活を脅かすほどの数の観光客が殺到することはなかったはずです。閑散としているべきところは、閑散としているはずの時期には、当然のことのように閑散としていました。
今から10年くらい前、6月の平日の昼間に鷹峯にある光悦寺を訪れたことがあります。このときには、私の他には境内に誰もおらず、私は、庭園に面した縁側に腰を下ろし、30分くらいのあいだ借景をボンヤリと眺めていました。(同じときに龍安寺も訪れたのですが、さすがにこちらは、修学旅行の中学生で混雑していました。)
しかし、2010年代後半には、京都市の中心部は中国人の観光客ばかりとなり、ホテルの宿泊料金もまた高騰していました。私のようにあまりカネを使わない日本人の旅行者は、どこへ行っても「お呼びではない」ようでした。私は、2017年の春を最後に京都には足を踏み入れていません。(パンデミックにもかかわらず、ホテルの宿泊料金が以前とくらべ割高なままにとどまっていることが大きな理由です。)外国人観光客の受け入れが再開されることにより、京都がふたたび荒れた状態に戻らないことを心から願っています。
ところで、あちこちを旅行するたびに心に浮かぶ疑問があります。観光客で溢れた観光地というのが本当の意味における「観光地」の名に値するのか、という疑問です。(後篇に続く)