Home 世間話 「高低差」を考えながら近所を歩くと

「高低差」を考えながら近所を歩くと

by 清水真木

 私は、自宅がある土地に、これまで合計で40年近く暮らしています。したがって、近所の道は、どれも馴染みのあるものです。10年前、20年前の同じ場所の様子を思い出すこともできます。しかし、道に迷うことなど決してないような空間も、新たな観点から眺めることにより、予期せぬ相貌を見せることがあります。

 最近、自宅の周辺を歩くとき、あるいは、自宅を出発して最寄り駅である荻窪駅や高井戸駅まで歩くとき、さらに、西荻窪や阿佐ヶ谷方面へと足をのばすとき、自分が身を置いている地点と周囲との「高低差」を何となく気にしながら歩くようになりました。きっかけとなったのは、次のような出来事です。

 何年か前、近所に昔から暮らすある非常に高齢の方と世間話する機会があり、そのとき、近くを走る交通量の多い(しかし短い)道路のことが話題になりました。2人が思い出して遠い目になったのは、今から30年くらいまで、環状八号線と交差するその道路の脇に、幅50センチくらいの小さなドブ川が流れており、大雨のときには稀に氾濫したこと、しかし、いつの間にか暗渠になり、そして、現在は、暗渠の痕跡すらなくなっていることでした。(「あのドブ川はどうなったんでしょうね?」などと罪のないことを喋っていたのを憶えています。)

 それ以来、「尾根」や「谷」の地形に注意しながら——具体的には、今は上っているのか、それとも、下っているのかを考えながら——近所を歩くことが多くなり、それとともに、今まで気にも止めなかった小さな傾斜に気づくようになりました。

 ところで、問題の道路は、私の自宅の近くでは、「谷」に当たるところを走っています。つまり、この道路と交差する道はすべて、この道路に向かって下り坂になり、この道路を越えると上り坂になるのです。また、この道路は、それ自体として、環状八号線に向かって1 緩やかな下り坂になっています。ドブ川は、生まれるべくして生まれたものであったことになります。

 このドブ川が最終的にどこへ流れて行ったのか、私は何も知りません。杉並区の荻窪駅よりも南側の環状八号線沿いは、全体として、善福寺川(、および、部分的には神田川)に向かって傾斜しています。高低差のみを手がかりに想像するなら、消えたドブ川は、何らかの形で善福寺川に流れ込んでいたはずです。(世間には、「暗渠マニア」と呼ばれる人々がいるようですが、残念ながら、私には、暗渠一般に対し特別な思い入れはありません。)

 荻窪は、歴史的な奥行きに乏しい土地であり、私は、これに特別な愛着を感じません。あまりにも長い年月を同じ場所で過ごしてきたせいで、荻窪にいくらか飽きているのでしょう。それでも、目の前にある建物をすべて消去し、高低差を心にとめ、むき出しの地形を心に描きながら歩くとき、見慣れた空間は「異化」され、不透明なものとなります。このような経験は、自分が暮らす地域にいくらかの魅力を与えてくれることになるのかも知れません。

  1. これは、環状八号線よりも古い道路ですから、厳密には、環状八号線と交差しているのではなく、環状八号線の東側を走る「荻窪街道」に合流していることになります。 []

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