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この記事を読んで思い出したことがあります。
もう20年以上も前になりますが、ある出版社の編集者と話していたとき、「著者としての価値」のようなものについて聞かされたことがあります。
その人によれば、重要な本、または売るに値する本というのは、「書店で平積みになった本の表紙に印刷された著者名とタイトルを見ただけで、実際に読まなくても、読者がその内容を言い当てられるような本」のことなのだそうです。だから、価値のある著者とは、名前を見ただけで、何を言いそうか大体において見当がつく著者のことであるということになります。*1
たしかに、何が書かれているのか実際に読まなくても見当がつく本が選ばれる場面がないわけではないこと、そして、このような本が与える「安心感」にそれなりの意義があることは私にもわかります。
しかし、「安心感」を求める読者が手に取ることを期待して市場に送り出される本は、シリーズものの映画と同じように、投下した資金を確実に回収することはできても、文化の未来を切り拓くことはないのではないかという気もします。
*1:このときには、これに続けて、「私(=清水)の名前が表紙に印刷されている本を見ても、読者は、そこに何が書かれているか、実際に読んでみなければわからない」から「私(=清水)は著者として無価値である」という話になりました。なお、この人によれば、私の唯一の存在理由は私の祖父の著作権継承者であることなのだそうです。当時、私はこれを聴いて相当に凹みましたが、実際、出版関係者と話していると、(大抵の場合、表現はもう少し婉曲ではあるものの、)今でも同じような発言に出会うことは少なくありません。まあ、私自身が書いたものを何も読んだことがなければ、他の話題などあるはずもないわけですが……。