Uber Eats(ウーバーイーツ)というサービスがあります。サービスというよりも、「食べものを注文したり配達したりするためのプラットフォーム」と表現するのが適当かも知れません。
先月から何回か、ウーバーイーツの配達員が私の家のベルを鳴らしました。私が何かを注文したからではありません。私自身は、これまでウーバーイーツで食べものを注文したことは一度もありません。
私の自宅の周囲には、同じ住居表示の戸建てが他に3軒あり、注文は、そのうちの1軒からのもののようです。私の自宅のベルを鳴らした配達員の1人に話を聴いたところ、配達員が使うスマホ向けのアプリでは、私の自宅の住居表示を入力すると、地図上で、他の家ではなく、私の自宅に自動的にピンが立つようになっているそうです。そのため、とりあえず私の自宅のベルを鳴らしてみた、というのがその配達員の話でした。
注文してもいない食べもののせいで玄関口に呼び出されるのは、少し迷惑な話です。また、ウーバーのアプリの欠陥の後始末をなぜ私がしなければならないのか、疑問に思わないこともありません。それでも、初めての場所で配達員を迷子にしないよう、インターホン越しに、上に記した他の3軒への道案内をしています。初めて訪れる人にはわかりにくい場所ですから、まあ、これは仕方がありません。
ところで、私がウーバーイーツを使わない理由はいくつかあります。追加の配達料金を支払ってまで食べたいものが特にない、というのは理由の1つですが、やはり、最大の理由は、「誰によってどのように届けるられるのかについて、コントロールがきかない」ことにあります。
ことによると、この種の宅配サービスについて、注文したモノさえ確実に手もとに到着すれば、誰がどのように運んでこようとどうでもよい、と考える人がいるかも知れません。また、この点に無頓着でなければ、ウーバーイーツで食べ物を注文することなどできないようにも思われます。しかし、残念ながら、私自身は、これには耐えられません。モノを手渡してもらうというのも、買いものの一部だからです。
私が注文するものは、私にとって何らかの意味において価値あるものであるはずです。通販で何かを注文し、その注文したものが届くとき、商品が宅配便のドライバーから直に手渡されるのではなく、門の外から乱暴に放り込まれたら、私は不快に感じます。自分にとって価値あるはずのものが粗雑に扱われたことに腹が立ちますし、「何かを購入する」体験の質もまたいちじるしく損なわれてしまいます。
スーパーマーケットでの買いものについても、事情は同じです。私自身は、近所のスーパーマーケットで買いものするとき、並ぶレジを選びます。店員の中に、私が苦手とする人が複数いるからです。どうせ買い物するなら、気持ちよく精算したいと考え、苦手な店員がいるレジは避けるようにしているわけです。
この観点から眺めるなら、ウーバーイーツが購入体験の安定した品質を保証するものではないことがわかります。ウーバーイーツの配達員が報酬を受け取っていることは知っていますが、それでも、ヤマト運輸や佐川急便のドライバーのように、継続的に責任をもって業務に従事しているわけではありません。ウーバーイーツの利用は、当たり外れが大きいバクチであり、残念ながら、今の私にはこのようなバクチに手を出す余裕はありません。