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昨日、次のような記事を読みました。
日本共産党が「敵の出方論」という表現を使うのをやめるようです。この記事を読んで私の心に最初に浮かんだのは、「姑息」の2文字です。
よく知られているように、「敵の出方論」とは、「日本共産党が暴力に訴えるかどうかは、『敵』の『出方』次第である」という考え方であり、1960年代以降の共産党は、この「敵の出方論」にもとづいてその都度の対外的な活動方針を定めてきたと一般には考えられています。
なお、「敵の出方論」という表現を使わないようにするという決定は、9月10日に民放の番組に出演したコメンテーターが「共産党は暴力革命の方針を捨てていない」と発言して騒ぎが起こる前に行われたようです。
しかし、今回の決定は、「敵の出方論」という言葉を使わないようにすることを内容とするものにすぎません。つまり、枠組としての「敵の出方論」が放棄されるわけではありません。したがって、日本共産党が暴力革命を惹き起こす可能性がこれによってなくなるわけでもないと考えるのが自然です。
そもそも、上の毎日新聞の記事の内容を信用するなら、日本共産党は、「敵の出方論」という表現を使うのをやめ、この方針を隠しさえすれば、自分たちに支持が集まり、選挙においてより多くの票を獲得することができると期待しているようです。少なくとも、毎日新聞の記者はそのように推測しています。しかし、これが事実なら、それは、日本共産党が有権者を「低能」扱いしていることを意味します。おそらく、そのとおりなのでしょう。