Home 高等教育 「純粋動画」と精神衛生の問題(前篇)

「純粋動画」と精神衛生の問題(前篇)

by 清水真木

以前、私は、オンライン授業することのメリットについて書きました。

とはいえ、オンライン授業には少なくとも1つ、大きなデメリットがあります。それは、動画を作らなければならないことです。

昨年度、私は、ずいぶんたくさんの動画を作りました。「動画」とは言っても、昨年度の春学期に作っていたのは、主に「ナレーション付きのスライドショー」です。これは、パワーポイントの機能を利用して作成することができるものであり、撮影を必要としません。内容の点では、教室での授業用に作っておいたメモをパワーポイントに仕立て直し、これに音声を加えただけのものです。実際、どの大学でも、授業用に配信される「動画」の大半は、「ナレーション付きスライドショー」であるに違いありません。

この「ナレーション付きスライドショー」は、作成に特別な技術を必要としません。また、「動画」を使って授業したことの「アリバイ」ともなります。このかぎりにおいて、「ナレーション付きスライドショー」には無視することができない価値があります。

しかし、学生の立場で考えると、「ナレーション付きスライドショー」の多くは、動画で提供されなければならない理由に乏しい教材でしょう。むしろ、学生の貧弱な集中力を考慮するなら、「ナレーション付きスライドショー」ではなく文書で配布した方がよほど効果的である場合が少なくないように思われます。実際、「ナレーション付きスライドショー」はほぼすべて、学生によって「早送り」される運命を免れないようです。

このような状況のもとでは、当然、誰もが「動画でなければできないことは何か」という問いに逢着するはずです。少なくとも私にとり、この問いは、避けて通ることができないものとなりました。(中篇に続く)

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