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https://mainichi.jp/articles/20211001/k00/00m/040/161000c
昨日、次のような記事を読みました。
毎日新聞
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眞子さまの「複雑性PTSD」状態 診断した精神科医の文書全文 | 毎日新聞
宮内庁は1日、秋篠宮家の長女眞子さまが「複雑性PTSD」(複雑性心的外傷後ストレス障害)の状態にあると発表し、診断した精神科医の秋山剛・NTT東日本関東病院品質保証室長の文書を明らかにした。全文は以下の通り。(原文まま)
この記事において話題になっている「複雑性PTSD」という診断を評価する能力は私にはありません。眞子内親王殿下の御結婚問題についてもまた、これをそれ自体として公然と論評する資格は私にはありません。
ただ、宮内庁がこの「複雑性PTSD」という診断を発表したという事実は、その是非を真剣に吟味することが必要であり、かつ、この作業は私にも可能であると信じています。
結論を先に言うなら、私は、この診断の公表が不適当であったと考えます。理由は以下のとおりです。
- そもそも、天皇および皇族は、現代の日本において唯一の本当の「上流階級」を構成しています。その生活様式が個人的な努力ではなく、伝統と制度によって形作られているからです。
- つまり、天皇および皇族は、カネの力や暴力ではなく、(よい意味における)権威にもとづいて国民の上に立つ存在であると言うことができます。実際、現在の平均的な日本人の大多数は、天皇および皇族についてだけは、その権威を自発的かつ無条件に認め、天皇および皇族に言及するときには、特に誰からも強いられることなく、これにふさわしい尊敬を表す何らかの待遇表現を用いることを習慣としているはずです。
- 国民の大多数が承認してきたこのような緩やかな権威というのは、しかし、天皇および皇族が上流階級にふさわしくふるまうことによって形成され維持されてきたと考えるのが自然です。
- ただ、現在の平均的な日本人にとり、「上流階級にふさわしいふるまいとはどのようなものか」という問いに適切に答えることは困難であるはずです。というのも、上に述べたように、敗戦後、「上流階級」と呼ぶことのできる社会集団の規模が極端に小さくなり、上流階級のふるまいを観察する機会もまたいちじるしく制限されてきたからです。
- しかし、上流階級のふるまいを記述することができないことは、これに関して国民が無知であることを決して意味しません。それどころか、少なくとも私の知る範囲では、天皇および皇族の個別の言動に対する平均的な国民の反応は、「上流階級いかにあるべきか」に関する暗黙の共通了解を驚くほど的確に反映してきたと言うことができます。
- 周囲の反対にもかかわらず誰かと結婚することは、それ自体としては、上流階級のふるまいとして許容範囲にとどまると私は考えています。また、この点にそれ自体として同意しない国民はごく少数にとどまるはずです。
- しかし、(多数か少数かはわかりませんが、ともかく)国民がみずからの婚約者の言動を強く批判し、皇族の配偶者にふさわしくないと繰り返すとき、この「攻撃」に対し「心身の不調」という形で応答することは、必ずしも平均的な国民のあいだに共感や同情を惹き起こさないはずです。というのも、これは、上流階級にふさわしくない反応だからです。
- 一般に、他から攻撃を受けたとき、自分の身体を毀損すること、あるいは少なくとも、自分の身体を毀損していることを明らかにすることで敵の態度を変えさせる、あるいは、敵を撃退するというのは、卑賤な者に特徴的な行動様式と考えられています。(ニーチェはこれを奴隷に固有の戦術と見なします。)
- たとえ自分が何らかの傷を受けたとしても、それにもかかわらず、弱みを見せることなく闘い続けること(あるいは、攻撃を無視すること)が上流階級——ニーチェの表現を用いるなら「強者」——の徳です。反対に、傷を受けたことを公然と示して周囲の態度を変えさせること、具体的には、自分を攻撃したことを周囲に後悔させようとすることは、ニーチェ的な意味における「弱者」、いかなる権威も持たぬ者の生き残りの戦術であり、天皇や皇族のように社会から権威を付与された存在には似つかわしくないふるまいなのです。
- 宮内庁は、「複雑性PTSD」という診断を公表することにより、眞子内親王殿下がその立場に必ずしもふさわしくない戦術を用いて批判や攻撃をかわそうとしているというという印象を世間に与え、これにより、皇室の権威をいくらか傷つけたように思われます。これが、診断の公表が不適切であったと私が考える理由です。
したがって、「複雑性PTSD」という診断が公表されたからと言って、それだけでただちに批判や攻撃がすべて止むとは私には思われません。
むしろ、「眞子内親王殿下がかわいそうだから、批判するのはもうやめよう」などと他人に呼びかける者たちがいるとするなら、彼ら/彼女らは不見識であり、その発言は、「上流階級いかにあるべきか」という点に関する根本的な誤解あるいは無知を反映するものであるに違いありません。
もっとも、眞子内親王殿下の御結婚問題について意見があるとしても、その表現には慎重にならなければなりません。
日本で唯一の本物の上流階級に属している人物がかかわる出来事であるかぎり、政治家や芸能人を叩くときと同じように情け容赦ない言葉を使うことはそもそも避けること、表現に品位や格調を与えられないときは沈黙すること、これが国民の良識であり徳であると私は考えています。