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クラシック音楽の「全集」について

by 清水真木

 古典的な作曲家の名前を通販サイトで検索すると、その作曲家の「全集」がヒットすることがあります。私が「全集」と呼ぶのは、1人の作曲家のすべての作品の演奏を、ときにはその異なるバージョンまで含めて収めたCDのセットのことです。CDの枚数は少なくとも50枚、多いものでは150枚を超えます。バッハ、ハイドン、ベートーベンなどの古い時代の作曲家ばかりではなく、ドビュッシーやラフマニノフのような最近の作曲家についても「全集」が販売されています。

 私は、クラシック音楽を聴くことを趣味とする知り合いが身近におらず、このような「全集」を手に入れることの意義について誰かの意見を聴いたことはありませんが、少なくとも、「全集」は、初心者が購入するものではないことは確かであるように思われます。この点において、哲学者や作家の全集とは性質を異にします。哲学や文学では、大抵の場合、最新の全集や著作集に収められた版がそれぞれの作品の「定本」つまり決定版であり、引用や参照はすべて全集や著作集のテクストおよび巻数とページ数によって行われます。「定本」に相当するものを読まなければ、そもそもその作品を読んだことにならないのです。これに対し、クラシック音楽の場合、全集は、既存の演奏の寄せ集めにすぎないのが普通です。同一の作品に関し複数の演奏が遺されている場合、「全集」に収められた演奏がもっともすぐれているとはかぎりません。クラシック音楽のCDのセットは、比喩的な意味で「全集」と呼ばれていると考えるのが適当であるように思われます。

 それでは、クラシック音楽の「全集」は誰のためのものなのか。以下は私の想像になりますが、ある作曲家の「全集」とは、その代表的な作品をすでに一通り聴いている者が、「全集」を手に入れなければ聴くことができないような——つまり、演奏の機会が非常に少ない——曲を聴きたいと思うときに手に入れるものであると私は考えています。

 たとえば、モーツァルトは、その生涯において、約70の交響曲を遺しました。(数え方によって異なります。)しかし、これらのうち、現在でも頻繁に演奏され、日本の平均的なクラシック愛好家が「モーツァルトの交響曲」という言葉を目にして想起することができる作品は、多くても10曲程度でしょう。これら代表的な作品以外については、「わざわざ探して聴く」ことが必要になりますが、このような要求に応えるものとして作られたのが、すべての作品の演奏を収めた「全集」であると言って差し支えないように思われます。

 クラシック音楽の完全な初心者がベートーベンの「全集」を購入して交響曲9番に初めて触れるなどという状況は、「全集」の製作にあたりそもそも想定されていないはずです。クラシック音楽の「全集」は、マニアしか聴かないような珍しい作品の音源を捜す上級者向けのアイテムであると言うことができます。私は、モーツァルトの「全集」を所有しています。ずいぶん昔に手に入れたものです。しかし、私は、「全集」を必要とするほどモーツァルトに詳しいわけではなく、実際、残念ながら、この「全集」に手をのばすことは滅多にありません。

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