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「情報オーバーロード」に抗して

by 清水真木

 「情報オーバーロード」は、未来学者のアルビン・トフラーが1970年代に作り出した概念です*1。情報量が過剰になり、そのせいで適切な判断や選択ができなくなることが「情報オーバーロード」の意味です。

 流入する情報量が多くなると——閾値は人によってまちまちであるとしても——これを適切に処理したり評価したり選択したりすることが難しくなるという主張は、しかし、トフラーに始まったものではありません。これは、トフラーよりも約100年前、すでに1870年代前半には、我らがニーチェが歴史研究との関係において指摘していた事態です*2。情報オーバーロードが、少なくとも近代以降、人間の生存にとり、重大な脅威であったことがわかります。

 私は、一度に処理することができる情報量の閾値が低く、多量の情報が目に飛び込んでくると、すぐに思考停止に陥ってしまいます。(流れ込む情報が整理されているか、雑然としたままであるかは、関係ないようです。)したがって、多量の情報に一度にさらされないよう、普段からいくらか気をつけています。

 電車に乗ると、ツイッターやニュースサイトをスマホでずっと眺めている人をよく見かけますが、私に真似することができません。その日に受け取ることができる情報の「残量」が少なくなり、その後の知的活動に好ましくない影響を与える可能性があるからです。

 この意味において、移動中の時間の過ごし方としてもっともすぐれているのは「居眠り」であることになります。居眠りしているかぎり、広告やデジタルサイネージから発せられる情報を遮断することができますし、もちろん、スマホをいじることもないからです。

 「アテンション・エコノミー」は、注意力が資源であり資産であることを明らかにしました。現代では、余計なものに注意を奪われないよう自分の注意力を慎重に管理し、「情報をできるかぎり受け取らずに済ませる」ことは、土地や金融資産を守り、時間を有効に使うことと同じくらい大切な課題です。無防備な状態で注意力をむしり取られることのないよう、私たちは、目と耳を塞いで世の中を渡らなければならいのです。

*1:厳密に言うと、「情報オーバーロード」という言葉を最初に使ったのはトフラーではないようですが、トフラーとともに有名になったものであることは事実です。

*2:『反時代的考察』第2篇「生に対する歴史の利害について」は、過去に関し許容量を超える情報が流れ込むと、生と歴史のあいだの——生が歴史を支配するという——本来の関係が損なわれ、むしろ、実体化された歴史によって生が支配され、窒息させられるという転倒が惹き起こされることを明らかにしています。

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