昨年の11月上旬から今年の1月下旬にかけて、わが国の公共の言論空間の一部がアメリカの大統領選挙をめぐる陰謀論によって占拠されたことがありました。「選挙に大規模な不正があった」「本当の勝者はトランプである」などの主張が数ヶ月にわたりSNS上に氾濫したことを覚えている人は少なくないと思います。
そして、来月の上旬には、あの大統領選挙から1年になります。陰謀論を信じている者が今でもまだ残っているのかどうか、私にはわかりません。
とはいえ、いわゆる「ネトウヨ」に分類される者たちが各自のツイッターやフェイスブックのアカウントで何を叫ぼうと、「ネトウヨ」は、それ自体としては絶対的な少数派ですから、彼ら/彼女らの言葉は、わが国の世論全体にとっては無視しうるノイズ以上の意味を持ちません。
左派の評論家や活動家のあいだでは、「ネトウヨ」を批判するに当たり、見くだしたような調子で考えうるかぎり口汚くこれを罵ることがお約束になっています。しかし、「ネトウヨ」に対するこのような誹謗中傷は、不要であるばかりではなく、それ自体として、左翼の側の見識と品格を疑わせるのに十分であり、逆効果ですらあるように思われます。
陰謀論がそれ自体として有害なものであることは確かです。それでも、虚偽の言説が日本版のいわゆる「嘆かわしい人々」(basket of deplorables) を超えて受け容れられることがないかぎり、私たちがこれに注意を向ける必要はなく、ただ生暖かく見守るだけで十分であるように思われます。
しかし、私は、大統領選挙から1年を迎えるにあたり——年末年始にでも——ぜひ話を聴いてみたい人々がいます。それは、SNS上で迷惑な陰謀論の洪水を産み出した「嘆かわしい人々」自身ではなく、彼ら/彼女らを扇動した人々、つまりいわゆる「右派」の「言論人」に分類される人々の話です。「限界ネトウヨ」とも呼ばれることがあるこれら「言論人」には、アメリカ大統領選挙をめぐるこの1年間の言動を総括する責務があるからです。
「限界ネトウヨ」は、今でもまだ「ダークサイド」にとどまり、現実と願望を区別することができないままであるのか、それとも、(平均的な日本人が共有する)現実を直視することができるようになったのか、また、「陰謀論」——と平均的な日本人には見えるもの——を今でも手放してはいないとするなら、それはなぜであるのか・・・・・・。私自身は、決して左翼ではありません。むしろ、みずからが正真正銘の保守であると信じています。それだけに、社会全体の保守主義に対する最低限の信頼を維持するために、「限界ネトウヨ」がこのような点について知的公衆の前で総括することには無視することができない意義があると考えています。
もちろん、私のこのような要求に関し、「『限界ネトウヨ』に知的な誠実などないし、公衆や公論に対する責務を自覚するよう求めても無駄」「そもそも、『限界ネトウヨ』に分類された『言論人』の誰も、大統領選挙に限らず、自分の発言に責任をとったことなんか一度もないでしょ」などの意見を持つ人がいるでしょう。ことによると、そのとおりなのかも知れません。
それでも、アメリカ大統領選挙に関連し多くの人々を煽ったことの責任を問い、応答を求めることは、健全な言論空間を維持するために必要な努力であり、曖昧なままにしておくことは好ましくないように私には思われるのです。