私は、自分の著作物の著作者であり、当然、これについて著作権を持っています。また、私は、今のところ、自分の直系尊属に当たる親族すべての著作物の著作権継承者でもあります。数年前、TPPの批准に合わせ、一般著作権の保護期間が50年から70年に延長されました。そのため、これからも当分のあいだ、私がすべての著作権を管理することになります。
とはいえ、映画や音楽のように莫大な収入が得られる可能性がある場合は別として、ごく普通の本に関するかぎり、「著作権継承者」ほど割に合わない立場はないと私は考えています。
たしかに、著作権継承者は、著作物が何らかの形で使用されるたびに、若干の印税を受け取ります*1。過去に出版された書物の一部が別の媒体に再録される場合、印税は、日本文藝家協会が定める基準を参考にして決められるのが普通であり、少なくとも文字数当たりの印税が版元によって大きく異なることはありません。
また、たしかに、著作権継承者は、みずからが何かを産み出すことなく印税を手に入れます。そして、そのせいで、世間には、著作権継承者に対し、ただ口を開けて印税が降ってくるのを待つお気楽な存在であると勘違いしている人が少なくないようです。
しかし、現実には、著作権継承者は、ただ口を開けて印税が降ってくるのを待つだけの〈お気楽〉な存在ではありません。少なくとも、私自身は、自分をこのように捉えたことはありません。というのも、著作権継承者は、若干の印税を受け取るのと引き換えに、知的財産を適切に管理する道徳的な責務、あるいは、著作物が適切に管理されているかどうか監督する道徳的な責務を否応なく負うことになるからです。
形式的に考えるなら、著作権継承者に属する著作権なるものは、継承者が独占することができる相続財産です。また、著作権は、単なる財産ではなく、保護することが公共の福祉、特に文化の発展に貢献する可能性がある知的財産でもあります。管理の責務が著作権継承者に課せられるのは仕方がないことなのです。(中篇に続く)
*1:「無償で使いたい」という申請が稀にありますが、私はすべて断ることにしています。私は、自分のものについても、著作権を継承した著作物についても、無償での使用を認めたことはありません。理由は、以前に書いた文章で説明しました。無償で使われているものがあるとするなら、それは、無断使用によるものだけです。