※この文章は、「『著作権継承者』という存在について(前篇)」および「『著作権継承者』という存在について(中篇)」の続きです。
しかし、さらに深刻なケースもあります。たとえば、「著作権継承者が認めない形態で無断刊行し、事後に許諾申請があった」「校了後に使用許諾申請があり、かつ、本文が勝手に書き換えられていることがわかった」「外国語訳が無断で刊行された」・・・・・・などの事件がこの30年間に実際に発生しています。
また、世の中には、著者自身が使用を一切認めない著作というものがあります。「自分の黒歴史を消したい」というのが理由であることが多いようです。
著者自身が作品の使用を認めてこなかった場合、著作権継承者には、著者自身の方針と公共の利益を秤にかけながら著作物を管理するという実に面倒くさい仕事が加わります*1。
世の中には、著作権の継承を印税を受け取る権利の継承と勘違いしている人が少なくありません*2。そして、著作権法もまた、この勘違いに囚われています。しかし、法律によって何が決められていようとも、現実には、著作権継承者は、印税をもらうだけで済むはずはなく、著者が亡くなった時点での著作の評価に見合った面倒を生涯にわたって引き受けることになります。このような事情を考慮するなら、「著作権継承者」という呼称は不適切であり、本当は、「著作権管理責任者」などと呼ばれるべきであるように思われます。実際、著作権継承者に支払われる印税は驚くほど少額であり、このような気苦労に見合うものではありません。著作権の保護期間とは、実質的には、著作権継承者が管理の責任を負わなければならない期間なのです。
一般著作権の保護期間が50年から70年に延長されることについて、私は、自分自身についてはこれを歓迎します。なぜなら、著者の意向に沿った著作物の使用のコントロールがさらに長期にわたって可能となるからです。
しかし、保護期間の延長は、全体としては、著作権およびこれを継承することをめぐる誤解を強化することになるかも知れません。というのも、著者が世を去ってから70年が経過し、一般著作権の保護期間が終わるとき、著作権を継承しているのは、大抵の場合、著者をもはや直接には知らない世代だからです。相続財産であるとはいえ、著者を直接には知らない世代の親族に著作権を渡すことにどのくらいの意味があるのか、私は、この点についていくらか疑問を覚えます。著作権継承者は、著者に対する愛着や尊重を当然の前提として著作物を適切に管理する責務を負う存在であり、(著者自身がよほど有名でないかぎり、)著者を知らない人々に期待するのには無理があるように思われるのです。
*1:幸いなことに、私が著作権継承者として権利を持つ著作物の中には、これに該当するものはありません。特に祖父は、立場の変化を含めてすべてをアリバイとして遺し、読者に冷静な判断を求めることに意義を認めていたと私は理解しています。
*2:一般著作権の保護期間が50年から70年に延長されるときにも、このような理由から延長に反対した人が少なくありませんでした。