明日(1月10日)は、成人の日です。成人の日は、2000年から「1月の第2月曜日」になり、その日付が年によって変化するようになりました。明日は、多くの自治体において、いわゆる「成人式」が行われるに違いありません。
現在では、「新成人」の大半は、自治体が主催する成人式にまじめに出席するようです。住民票を移動させないまま地方から上京して大学に通っている学生の中には、成人式のためだけにわざわざ帰省する——今年はわかりませんが——者が少なくありません。
しかし、私は、多くの「新成人」が自治体主催の成人式に出席する光景に違和感を覚えます。というのも、私自身は、自分が20歳になった年、つまり1988年に行われた成人式に出席していないからです。(もちろん、他の年に出席したわけでもありません。)
これは、私の世代としては普通のことでした。根拠となる資料が手もとにないのですが、1980年代から90年代の場合、自治体主催の成人式に出席する新成人の方が少数派で、その割合はせいぜい30パーセント程度にすぎませんでした。私の行動は、珍しく多数派と一致していたことになります。私の場合、成人式に出席するかどうか、迷うことすらありませんでした。
一応大人になったのなら、自分が住む自治体が主催する面白くもない成人式などボイコットし、少しくらい背伸びして社会に対する批判的な態度を示す気概があってもよいのではないか、出席の義務がない式典におとなしく出席するなど「未来の社畜」以外の何ものでもないのではないか・・・・・・、毎年、全国のいたるところで「工夫」をこらしたと思われる式典や祭典が「新成人」のために開催され、そこに多くの「新成人」が参加している姿をテレビのニュースで見るたびに、私は、このような感想を心に抱きます*1。
おそらく、私の考えが古いのでしょう。
*1:千葉県浦安市は、毎年ディズニーランドで成人式を開催しており、大抵の場合、NHKのニュースでは、「新成人」たちが嬉々としてこれに参加する様子が紹介されます。私は、その様子を見るたびに、「彼ら/彼女は大人になりたくないのだろうか」「私なら、成人になったことを遊園地で祝ってもらうなど、愚弄されているとしか思わないのだが」などと勝手なことを心の中でつぶやいています。