211
この文章は、「他人の不幸について(全7回の1)」「他人の不幸について(全7回の2)」「他人の不幸について(全7回の3)」「他人の不幸について(全7回の4)」「他人の不幸について(全7回の5)」「他人の不幸について(全7回の6)」の続きです。
すべての不幸は、時間の経過とともに「名前を持たない不幸」へと辿りつきます。集団的に克服されるべきものと見なされている不幸、つまり「名前を持つ不幸」は、本当の意味における不幸ではなく、不幸のきっかけにすぎません。
自分ではよく憶えている出来事、しかも、自分の人生に決定的な影響を与えた出来事が(当初は名前を与えられ、広く知られていたとしても、)時間の経過とともに人々の記憶から姿を消して行くとき、不幸をともに担う他人を時間の経過とともに失い、孤独の中で不幸を担わなければならなくなるとき、ある意味において「薄情」な人々とともに生きて行かなければなくなるとき、つまり、不幸から名前が失われるとき、私たちは、深い悲哀とともに本当の意味における不幸と向き合わなければならなくなるのでしょう。