※この文章は、「東京メトロの”Find my Tokyo.”について(前篇)」の続きです。
それでは、この点について東京メトロは何か見解を明らかにしているのでしょうか。今から7年前、2015年の東京メトロによるプレスリリース(「企業広告 Find my Tokyo. がスタート!」)には、次のように記されています。
2015年度の企業広告キャンペーンは、お客様それぞれに自分のお気に入りの”東京”、“my Tokyo”を見つけてもらうことで東京をもっと好きになってもらいたいとの想いを込めて「Find my Tokyo.」と名付けました。
この説明のとおりであるなら、”Find my Tokyo.”は、「あなたが『私の東京』と呼ぶことができるようなお気に入りを見つけてください」を意味することになり、したがって、”Find your favorite, which you can call “my Tokyo.””の短縮表現であることになります。しかし、文法的には、”Find your favorite, which you can call “my Tokyo.””を、意味を変えることなく”Find my Tokyo.”と短縮することには無理があります。
表面的に見るなら、”Find my Tokyo.”は、広告を眺める私たちに属するはずの〈私〉を1人ひとりから無断で奪い取り、そして、これを所有形容詞へと変形して私たちに投げ返しています。これは、東京に具わる多様性の宣伝を装いながら、現実には、広告を眺める私たちに対し、「消費されるべき東京」なるものが必ずあるという想定を押しつけているのです。この意味において、”Find my Tokyo.”は、大変に押しつけがましいメッセージであると言えないことはありません。
けれども、本当は、”Find my Tokyo.”は、英語の文法にもとづいて3つの単語を排列することで生まれたものではなく、英語の命令文を装ったナンセンスな文字列と見なすことが可能です。これを1つの文と見なして「私の東京を見つけてください」と訳すのは誤りであり、「見つける」「私の」「東京」という3つの単語のそれぞれから始まる記号の連鎖の戯れとして受け止めるのが適当であるようにも思われるのです。