※この文章は、「シラバスを読まずに履修登録すると、どのようなことが起こるか(その1)」の続きです。
各大学は、毎年、あるいは毎学期、それぞれの授業科目ごとに学生を対象として授業評価アンケートを実施します。そして、アンケートには、「この授業はシラバスどおりに行われたか」という質問項目が含まれるのが普通です。シラバスが授業の内容、授業の進め方、成績評価などに関する教員と学生のあいだの「契約書」に当たることを考慮するなら、これは当然の質問でしょう。また、アメリカを始めとする英語圏の大学では、シラバスは、このような役割を実際に担っています。
しかし、わが国の大学の多くでは、学生の大半は、シラバスにまったく目を通しません。履修する科目を決めるときに何が手がかりになっているのか、私にはわかりませんが、少なくとも、「シラバスを読んで履修する科目を決める」という行動が、日本の大学生のあいだでは決して普通ではないことは事実です。
実際、学生がシラバスに目を通し、その内容にあらかじめ同意していることを前提として教員が授業を始めても、(教員にとっては)意味不明な問い合わせや苦情が授業期間を通して学生から繰り返し寄せられ、結局、シラバスに書いたことを教室であらためて説明しなければならなくなる可能性が高いように思われます。
教員、学生、そして、授業の現場では、シラバスは機能していません。その役割に関する理解も行き渡ってはいません。少なくとも現在のところ、シラバスに意義が認められるとするなら、それは、大学にとっては文部科学省に対する「アリバイ作り」であり、文部科学省にとっては「自己満足」にとどまるでしょう。もちろん、学生にとっては、ほとんど何の意味もありません。
ただ、シラバスに対し「お約束」として与えられている役割を考慮するなら、やはり、学生は、授業開始前にシラバスに目を通し、履修するにあたって注意すべきことがないかどうか、自分にとって不利益になるようなことがそこに記されていないかどうか、丁寧に確認すべきでしょう。
教員の方は、授業を円滑に進めることを最優先に、みずからが必要と判断したことをスペースが許すかぎりにおいて詳しく説明します。そして、このような説明の中には、たとえば、履修者数を絞ることを目的として、「指定した文献10冊すべてを授業開始までに読み、初回の授業の冒頭で4000文字のレポートを提出すること、提出しなければその時点で不合格」などという無茶な指示が含まれていないとはかぎりません。シラバスに目を通していなければ、そして、レポートを提出しなければ、当然、初回の授業が始まった瞬間に不合格が確定します。
もちろん、この点について学生が大学に異議申し立てしても、さしあたり戻ってくるのは「シラバスのとおり」という回答、そして、「シラバスをあらかじめ読まなかった方が悪い」という判断だけであり、(次年度のシラバスを改善するよう、大学が教員に促す可能性はあるとしても、)学生が救済されることは決してありません。
シラバスの記載は絶対であり、それぞれの授業は、「すべての学生がシラバスの内容に同意した上で履修登録して授業に出席している(そして、同意できなければ履修登録しない)」ことを前提として実施されることになっています。シラバスを読まずに履修登録することは、アプリを初めて使用するときに「利用規約」を読まずに「同意する」を押すのと同じくらい危険なことなのです。