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問題作成をめぐる悩みについて(その2)

by 清水真木

※この文章は、「問題作成をめぐる悩みについて(その1)」の続きです。

 今回のパンデミックよりも前、まだ学期末に定期試験を実施していたころ、成績評価の前提となる100点のうち、60点を定期試験に、残りの40点を課題に割り振っていました。この場合の課題とは、高級なレポートなどではなく、「教科書の指定された箇所をちょうど400文字分、指定された400字詰め原稿用紙に正確に書き写す」だけの簡単なものです。(これは、学生を愚弄していると受け取られかねないレベルの「レポート」であるに違いありません。)それまでの数年間、定期試験の正答率があまりにも低く、定期試験のみで評価すると、履修者の大半が不合格になってしまうような状態が続いていました。そこで、誰でも満点をとることが可能な(はずの)簡単な課題に40点を割り振り、全員に「下駄を履かせる」ことにしたのです。

 ところが、提出され課題から明らかになったのは、次の2つの意外な事実でした。

  1. 指定されたわずか400文字をミスなく正確に書き写し、40点を獲得したのは、全体の3割程度にとどまりました。中には0点もありました。
  2. 課題の完成度は、定期試験の得点と相関しており、定期試験のできが悪い学生は、課題のできもよくありませんでした。つまり、定期試験の得点の低い学生に「下駄を履かせる」ことはできませんでした。

 そして、これら2つの事実は、次のような真理を私たちに教えます。すなわち、授業の内容に関連する「まっとう」な問題に回答させようと、時間さえかければ小学生でも完璧に仕上げられるような課題を提出させようと、学生のスクリーニングが唯一の目的であるかぎり、結果は同じであることが明らかになったのです。

 現在、私は、小テストに関し、教科書、資料、動画などの内容を問うような設問を用意しています。言い換えるなら、授業の内容を想起しなければ正答することができないようなタイプの設問のみで小テストを作っています。けれども、ただ成績評価「だけ」すればよいのであれば、たとえば

教科書26ページの後ろから5行目の下から4番目の文字は次のうちどれか。「徳」「得」「と」

あるいは、

5月13日に配信した動画内で私が3回目に咳払いしたのは開始から何分何秒後か。「14分12秒後」「39分8秒後」「61分44秒後」

のような、授業の内容と何の関係もなく、時間と手間さえかければ全員が必ず正答することができる設問ばかりに回答させてもかまわないことになります。このような(ある意味において下らない)設問でも、正答することができない学生が一定数おり、少なくとも私の経験の範囲では、このような学生は、「まっとう」な試験を課しても、やはり正答することができないはずだからです。

 小テストの正答率が低いことの最大の原因は、学生の「学力」ではなく、学力を発揮する前提となるもの、つまり——教科書を手にとったり、動画を観るためにリンクをクリックしたりするなど——正答に辿りつくためにいくらかの時間と手間をかける「意欲」や「気力」や「覚悟」の不足であるように思われます。

 そして、私が出題する小テストが測定するのもまた、今のところは、純粋の学力ではなく、意欲や気力や覚悟にとどまります。もっとも、純粋な学力を問う試験、思考力や理解力を問う試験をあえて実施しても、正答率が極端に低くなり、合格する学生がゼロにかぎりなく近くなるだけであるかも知れません。

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