Home 高等教育 大学の教育を妨害するイベントとしての「内定式」について(その2)

大学の教育を妨害するイベントとしての「内定式」について(その2)

by 清水真木

※この文章は、「大学の教育を妨害するイベントとしての『内定式』について(その1)」の続きです。

 それでも、内定式が近づくと、「会社の方が内定式への出席を当然と考えているように見える、欠席すると何かまずいことが起こるのではないかと気がかりだ」と学生から相談を受けることがあります。このようなときには、「どうしても内定式に出席しなければならないというのが会社の判断であるというのなら、会社の責任者から私宛に一筆もらってくるように、これを見て判断する」と答えることにしています。当日の学生の身柄についての形式的な優先権は大学にあるのですから、企業が学生をどうしても内定式に出席させたいのなら、大学に対して学生の欠席をお願いするのが順序でしょう((どこの会社かは知りませんが、かつて、ある学生が、内々定を得ている会社の担当者に対し、「授業の都合で内定式を欠席したい」と連絡したところ、その担当者から「どうしても授業を優先させたいのなら、教師から一筆もらってこい」という意味の返事が戻ってきたそうです。この会社員は、自分の企業が学生に対し何か権利を持っていると勘違いしていたのでしょう。

https://twitter.com/asumomolu/status/915007773485686784?s=20&t=5teWZduzR1AG71k2h0_BoA

))。

 私の記憶に間違いがなければ、大企業の「内定式」という風習が大学の教師の神経を決定的に逆撫でしたのは、2017年のことです。少なくとも私は大いに憤慨しました。

 この年の10月1日は日曜日でした。例年どおりの日程で内定式が行われるなら、学生は、「授業と内定式のいずれを優先すべきか」に頭を悩ませなくて済む、多くの教師はこのように予想し、そして、安心していたはずです。

 ところが、大学側の予想に反し、多くの企業が、日曜日であるという理由で10月1日に内定式を実施せず、その結果、翌日、つまり10月2日の月曜日に内定式が集中したのです。内定式を1日遅らせた理由について私がネット上で見かけたのは、「休日出勤の手当を発生させないため」「役員への配慮」などの完全に内向きの説明ばかりであり、そこには、学生への配慮は完全に脱落していました。

 例年どおりなら休日に行われたはずの内定式を、自分の都合であえて平日に移動させた企業が多かったことは、社会における企業の位置や役割についての自覚の欠如を雄弁に物語る事実であるように思われます。新型コロナウィルス感染症の流行に合わせ、内定式などできるかぎり廃止するのが適当であると私は考えています。

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