毎学期、成績評価のたびに感じるのは、学生が「記述式の問題が大嫌い」であることです。昔、ある学生から「どれほど紛らわしくても記号で答える方がよい」「定期試験が記述式だとあらかじめわかっている授業は、内容に関係なく履修登録しない」という極端(だとよいのですが)な話を聴いたことがあります。
実際、定期試験に記述式を出題するのをやめてから、授業の内容も曜日時間も変えていないにもかかわらず、(また、それまでも、記述式とはいえ「持ち込み可」としていたにもかかわらず、)担当する授業の履修者数が数年のうちに10倍以上になりました。「清水の試験はマルバツ式だ」という情報が広がったからなのでしょう。
多肢選択式や正誤式の場合、答えは正解か不正解かのいずれかでしかなく、その分、不合格の危険が高くなるはずなのですが、それでも、学生は記述式を忌避するようです。
また、記述式、あるいは、これに類する「文字を書く」試験について、学生から「コスパが悪い」という苦情の申し立てがあったこともあります。もちろん、これは、物理的な「文字数」の問題ではありません。
多肢選択式や正誤式なら偶然に正解することがあるのに対し、記述式や論述式の正解について偶然はありません。これは、まともに準備しないかぎり、まともな評価は得ることができないタイプの試験であり、成績を正確に評価するすぐれた方式であると言うことができます。
しかし、学生から見ると、記述式、論述式の試験では、勉強に費やす時間と体力が成績評価に反映されます。この意味において、これは、「コスパが悪い」試験ということになるのでしょう。もちろん、これとは反対に、勉強量がゼロでも合格最低点は保証されるのは、学生にとっては「コスパがよい」試験であるに違いありません。ただ、この意味での「コスパ」について教師に注文をつけられても困るのですが。
しかし、単位取得におけるコスパを重視するかぎり、授業の履修は、何の準備もせず当てずっぽうに選択肢を選ぶだけの行動、つまり、ギャンブルとなることを避けられません。「コスパ」を最優先で重視する学生の生活は「博徒」の生活に似たものとなり、むしろ「コスパ」が悪くなるように思われます。