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最近の日本語の発音への違和感について

by 清水真木

 「母(はは)」という名詞をどのように発音するか。私自身は、いわゆる「②型」のアクセント、つまり、前の「は」を低く、後の「は」は高く(「は↗は」のように)発音します。「父(ちち)」のアクセントもまた、同じ「②型」です。私にとっては、これが自然であり、これ以外のアクセントで発音されるのを耳にすると、強い違和感を覚えます。

 「父」については、これまでの人生において、②型以外で発音したことが一度もなく、したがって、その発音を訂正されたこともありません。

 これに対し、「母」については、子どものころ、①型——前の「は」を高く、後の「は」を低くする型——で発音したとき、②型で発音するよう周囲からその都度即座に訂正されたことが何回かあります。

 ところが、最近の各種の国語辞典に従うなら、「母」のアクセントについては、現在は、「①型」が主流であり、それどころか、驚くべきことに、「父」についてもまた、「①型」のアクセントがそれなりに広く流通しているようなのです。私は、「父」という言葉を「ち↘ち」のように発音することを不自然と感じます。「ち↘ち」という発音を単独で耳にするときに私の心に浮かぶのは、「致知」という熟語だけです1

 私にとって自然な発音やアクセントと、世間で広く流通している発音やアクセントのあいだに距りがあり、また、この距りが時間とともに大きくなっているとするなら、その原因は、地域のあいだの差異ではなく、むしろ、世代の差異に求めるのが自然であるように思われます。私の耳に自然に響くのは、古い日本語であり、現代の平均的なコミュニケーションの場面からは姿を消しつつある言葉遣いであるのかも知れません。

 外部の世界において支配的な日本語——発音やアクセントばかりではありません——に対して私が感じる違和感はごくわずかなものであり、意思疎通に支障があるようなレベルの距りが認められるわけではありません。ただ、単語のアクセントについて私が今感じている小さな違和感は、日本語の歴史における大きな断絶を形作る小さな変化として受け止められるべきものであり、このようなごく小さな変化が積み重ねられることにより、ことによると、何百年か後の社会で使われる日本語は、私には理解することができないものになっているのでしょう。

  1. なお、このようなアクセントの転倒は、「父」ばかりではなく、同じ発音を持つ「乳」についても認められるようです。私にとっては、「父」も「乳」も②型のアクセントを持つ名詞ですが、現在では、両方とも①型で発音する日本人が少なくないようです。 []

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