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授業で使用する教科書について

by 清水真木

現在、私は、少人数の演習を毎学期3コマ担当しています。そして、どのクラスでも、原則として各学期1冊ずつ哲学の古典的なテクストを選んで講読しています。哲学の勉強は、古典的なテクストを時間をかけて丹念に読み、過去の天才と対話することから始まるものだからです。(高校の倫理の授業のように、いわゆる「学説」の要約だけを聴いて理解することは、哲学でも何でもありません。)

「ヘーゲル以後」を生きる私たちにとり、哲学とは、哲学史的文脈の内部における思考であり、西洋哲学の伝統を引き受けることに他なりません。歴史に足跡を遺した哲学者たちの言葉を無視して哲学は成立しえないと私は考えています。

ところで、授業で取り上げるテクストについては、学生の懐具合を考慮し、1000円を超える本はできるかぎり使用しないことに決めています。

また、価格が1000円を下回っていても、たとえば九鬼周造の『「いき」の構造』のように、一文字ずつ丁寧に読み進めないと大枠すら理解できないもの――本当は、こういう本を自分なりにコツコツと読むのが哲学の楽しさの1つなのですが――も避けることにしています。

以前、大森荘蔵の『知の構築とその呪縛』を一度だけ教科書として使ったことがありましたが、学生には最初から最後までほぼ理解不能だったようです。

これまで教科書としてもっとも多く使ってきたのは、プラトンの『メノン』(渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫)です。学生は、2年生から4年生まで3年間ワンセットで私の演習を履修することになりますが、その最初の学期、つまり、2年生の春学期には『メノン』を読むことにしています。

なお、これまで2番目に多く使用したのは、セネカの『人生の短さについて』(中澤務訳、光文社古典新訳文庫)です。これは、学生に与しやすいという印象を与えるようです。

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