私は、自分の言葉としては「具現化する」という表現を使いません。また、使わないようにしています。これは、しまりのない曖昧な表現だからです。
日本語の語彙にもともと含まれていたのは、「具体化する」と「具現する」という2つの表現です。
これら2つの表現は、似たような意味を持っています。両者の意味には重なる部分がありますが、それでも、両者の用法は明確に区別されることが必要です。
まず、「具体化する」は、文字どおり、抽象的なものを具体的にすることであり、この動詞には時間的な変化が属しています。萌芽的なもの、計画にすぎないものを現実のもの、形があるものにすることが「具体化する」ことの意味です。したがって、哲学の術語を用いて言い換えるなら、「具体化する」とは、「可能的なものを現実化する」ことに他なりません。見えないものを見えるようにさせることが具体化です。
これに対し、「具現する」は、個別的、実在的なものが抽象的な理念を反映することを表現する場合に用いられます。したがって、「具体化する」とは異なり、「具現する」には時間の規定がありません。ふたたび哲学的に表現するなら、「具現する」は、「実在するものがその背後における理念との関係において捉えなおされる」ことを意味します。この場合、目の前にある実在するものは、理念を具現するのであり、それ自体としては変化しません。
「具現化する」という動詞は、「具体化する」に引きずられて「具現」と「する」のあいだに「化」を放り込むことで生まれた無知にもとづく表現です。「具現する」の本来の意味を知らないからこそ、「具現化する」などというしまりのない表現を無造作に使うことができるのでしょう。そして、おそらくそのせいで、「具現化する」は、「具現する」の本来の用法を反映することなく、ただ「具体化する」の勿体ぶった言い換えとして用いられているように見えます。
「具現化する」という動詞を使うことは、みずからの言語感覚が恥ずかしいほど粗雑であることを告白するのと同じです。自分の知性に関し周囲からの肯定的な評価を期待するのなら、格好をつけずに「具体化する」という動詞を用いるのが安全でしょう。