Home 高等教育 「就職予備校」の現実について

「就職予備校」の現実について

by 清水真木

 何年か前、勤務する大学のオープンキャンパスに参加し、大学を訪れた受験生やその保護者からの個別の相談——入試や学生生活についての——に応じたり、質問を受け付けたりする仕事を手伝ったことがあります。朝から夕方まで窓口に坐り、私が言葉を交わしたのは全部で約20組でしたが、受験生や保護者から持ち込まれる相談や質問は、さまざまな興味深い事実を私に教えてくれました。

 今でも鮮明に憶えているのは、ある受験生とともに窓口を訪れた保護者が、大学のカリキュラムに関する私の説明を聴いて不思議そうな顔をしたときのことです。

 まず、学部のカリキュラムと卒業後の進路との関係について保護者から私に質問がありました。

 私は、この質問に間接的に答える形で、学部で開講される授業で取り扱われる学問分野と卒業生の進路とのあいだには緩やかな関連が認められること、したがって、学部により卒業生の進路(というか、卒業生が活躍する業種)に多少の偏りがあること、とはいえ、学部による極端な違いはないことを話しました。

 次に、保護者から、私が所属する学部で開講される授業科目が何にもとづいてグルーピングされているのか、という質問がありました。これに対し、私は、専門科目についてはおおむね学問領域にもとづいてグルーピングされていることをそれなりに具体的に説明しました。

 ところが、この説明は、この保護者の質問の趣旨とはズレていたらしく、たたみかけて「カリキュラムが就職活動や資格試験をどのような形で標的としているのかを教えてもらいたい」という意味の要求がありました。そして、保護者がいぶかしそうに「それはおかしい」というような意味のことをつぶやいたのは、私がおおよそ次のようなことを簡潔に話したときでした。「カリキュラムの編成に当たっては就職活動も資格試験も考慮されていない、そもそも大学は学問するところであって、就職や資格のための予備校ではないから。もちろん、このような支援を行っている組織が学内にあることはあるが。」  私の言葉の何がこの保護者の気に入らなかったのか、そのときにはわかりませんでしたが、今では、次の事情があったのではないかと推測しています。

 すなわち、この保護者は、

  • 大学が、比喩的な意味においてではなく実質的な意味において「就職予備校」であること、したがって、
  • 特に専門科目がいずれも本質的に「就活準備講座」として開講されていると勘違いし、しかし、
  • 大学が発行するパンフレット類には、この点が何も記されていなかったため、私にこの点を問いただしたところ、
  • 少なくとも明治大学が開講する授業科目が就職や資格の取得を実質的に支援するものではなく、就職や資格を標的としてカリキュラムが編成されているわけでもないことがわかって驚いた・・・・・・、

ということなのでしょう。

 私自身は、大学があらゆる意味において現に就職予備校ではなく、また、就職予備校であってはならない、むしろ、「反就職活動」の旗を高く掲げ、企業や市場にとって都合がよい「人材」を吐き出すことを大学に求める政府や財界の圧力に全力で抵抗すべきであるとすら考えています。(これについては、別の機会にあらためて書きます。)

 もちろん、世間において、大学が比喩的に「就職予備校」と呼ばれていること、この言葉が大学の現実のある側面を表すものであることは承知しています。

 しかし、「就職予備校」の意味を額面どおりに受け取り、開講される授業科目の内容が就職や資格試験から逆算して決められていると信じる人がまさかこの世に実在するとは想像していませんでした。私にとり、これは少し意外でした。

 とはいえ、このように勘違いしている受験生や保護者は意外に多く、また、勘違いに迎合してカリキュラムを編成する——たとえば、「税理士試験」や「公務員試験」の合格に最適化されたカリキュラムを持つ——大学というものも、ことによると日本のどこかにあるのかも知れません。(実際に、医学部のカリキュラムは、大抵の場合、実質的に医師国家試験から逆算して編成されています。)しかし、このような大学はもはや、本来の意味における「大学」の要件を満たすものではないように思われます。

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