学校教育法のいわゆる「一条校」(幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校)に入学するためには、いくつかの資格を同時に充たすことが必要となります*1。そして、私たちの心に最初に浮かぶ入学の資格(あるいは、出願の資格)は、(幼稚園と小学校を除き、)それぞれの学校から見て下位に当たる学校をすでに卒業しているか、卒業見込みであることでしょう。大学に入学するためには、高等学校をすでに卒業しているか、卒業見込みであること、または、これと同等の資格を取得している——あるいは、取得見込みである——ことが必要です。
とはいえ、実際には、ごく普通の大学に出願する場合、募集要項の冒頭に必ず列挙されている出願資格に丁寧に目を通す人は決して多くはないはずです。というのも、日本国内の普通の小学校、中学校、高等学校において修業年限どおりに学んでいるかぎり、それぞれの次の段階の学校への入学資格は、つねに自動的に付与されることになっているからであり、出願資格を充たしているかどうかを自分でわざわざ点検する必要はないからです。
むしろ、出願資格あるいは入学資格に関して大切なことがあるとするなら、それは、明記されている事項ではなく、むしろ明記されていない事項にあるのかも知れません。
たとえば、学校教育法の「非一条校」に当たる特殊な教育機関を修了した人々は、それぞれの大学が自分の学歴を日本の高等学校卒業と同等と認めるかどうか、つまり、自分に出願資格があるかどうか、必ず調べるはずです。そして、自分が学んだ学校が高等学校と同等と見なされているかどうか、願書のかぎりでは不明である場合、みずから大学に問い合わせて確認するでしょう。
しかし、出願資格に記されていないもっとも重要な情報は年齢です。大学の一般選抜*2の出願資格に明記されているのは年齢の下限のみであり、上限については記載がありません。そして、年齢の上限に関する記載がないとは、出願について年齢の上限がないこと、つまり、18歳以上でありさえすれば、90歳でも100歳でも出願し、入学試験を受け、そして、合格すれば入学することが可能であることを意味します。少なくとも、年齢が原因で入学することができないということはありません。
けれども、現実には、日本の大学はほぼすべて、90歳や100歳の老人が出願し、受験し、入学してくることを想定していません。それどころか、20代後半で大学に入学する学生すら、例外的な存在と見なされてしまいます。
日本の大学のキャンパスは、学生の年齢という点で、完全に均質的です。そして、大学が多様性を欠いた環境であるからこそ、世間は、大学を「就職予備校」と勘違いするのでしょう。けれども、日本の大学生の平均年齢が25歳を超えているなら、大学は、「就職の前段階」とは見なされることはなく、したがって、大学を「就職予備校」へと変質させる圧力からもまた自由であるはずです。大学にとり、年齢の点での多様化は、外部の圧力に抗する1つの有効な手段であるかも知れません。