わが国の鉄道の駅の多くには、乗車券、特急券などを販売する装置としての「券売機」なるものが設置されています。もっとも、「券売機」は、チケット類の自動販売機の総称であり、販売するチケットの種類は、鉄道関係のものには限られません。遊園地の入場券や立ち食いそば屋の食券を販売するために設置されているものもまた、「券売機」の一種です。
ところで、この「券売機」という言葉について、「『売券機』でなければならないのではないか」という感想をときどき耳にします。「売」が動詞、「券」がその目的語であり、動詞、目的語の順序で漢字を並べるのが造語の原則だから、というのがその理由です。
たしかに、「給水」「解熱」「除雪」などの二字熟語は、動詞に当たる感じに目的語に当たる漢字が添えられることで作られています。このルールを機械的に適用するなら、たしかに、「売券機」としなければならないことになるでしょう。
ただ、私は、「『券売機』は誤りであり、正しくは『売券機』でなければならない」という意見には同意しません。「券売機」には何ら問題ないと考えています。
理由は2つあります。
第1に、「券売機」は、さらに長い熟語の短縮形として生まれた表現であるように思われます*1。「券売機」がその短縮形となっている「もと」の熟語が実際には一度も流通したことがないとしても、「券売機」という三字からなる熟語を目にしたり耳にしたりする人は、大抵の場合、これを何かの短縮表現として受け取ってきたはずです。「『券売機』は何の短縮形か」と尋ねられるなら、多くの人は、「チケット販売機」「乗車券販売機」のように答えるでしょう。
そして、「券売機」を短縮形とする「もと」の表現がいずれも「販売機」の三文字を含むという事実からわかることがあります。すなわち、(a)私たちにとっては、券売機という装置が、自動販売機なるものが馴染みのあるものになったのちに、その一種として姿を現したものであること、したがって、(b)「券売機」の三文字のうち、「売」と「機」を分離することはできないことを教えます。
これに対し、例えば除雪車は、私たちにとり、「何かを取り除くための特別な仕様の車両」なるものが馴染みのあるものになってから、その一種として登場したものではありません。そもそも、「何かを取り除くための特別な仕様の車両」(「除(去)車(両)」(?))なるものには、自動販売機ほどの種類はありませんし、除雪車を目にすることがあっても、「券売機」の場合とは異なり、私たちは、これを「雪に関する『除(去)車(両)』(?)」とは見なしません。そもそも、私たちは、「除車」なる言葉を知りません。
「販売機」という言葉があらかじめ使われており、これに限定を加えるために「(乗車)券」の語が加えられ、しかし、「乗車券販売機」は長い——しかも、売るものは何らかの「券」ではあっても、乗車券には限られない——ことを考慮し、「券売機」という表現が生まれたと考えるのが自然です。
第2に、「売券機」が正しい造語法にもとづいて作られた表現であることを何の留保もなく主張することができるためには、(「機」をともなわない)「売券」という二文字熟語が現在の日本において流通していることが必要です。言い換えるなら、「売」と「券」がこの順序で頻繁に結びつけられていなければならないのです。
たしかに、辞書には「売券」の語が登載されています。しかし、辞書に収められたこの「売券」には、近代以前の日本において不動産売買の場面でやりとりされた証文の意味しかありません。
「売券機」が正しい表現であると言うことができるためには、「売券」が「チケットの販売」という意味であらかじめ流通していることが必要ですが、売券がこの意味で使われることはありません。少なくとも、私はその用例を知りません。
「券売機」は、表面的には造語法に従わない熟語であるように見えます。しかし、これ自体が短縮表現であること、また、現代の日本語に「売券」の用例がないことを考慮するなら、これは、「券売機」は決して間違いではなく、むしろ、日本語としては、「売券機」よりも自然であるように思われるのです。
*1:なお、「券売機」が英語のticket vending machineの直訳として作られたものであるなら、「券」(ticket) と「売」(vending) の順序は最初から問題になりません。
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多くの日本語語彙の漢字の並びは、漢語(中国語)の語彙順にならんでいます。おそらく大昔、大陸からやってきた言葉の名残なのでしょう。
しかし、近代になって作られた物を呼ぶ言葉は、そのような中国語の語彙順を周到していないケースが多々見うけられます。新しい言葉は、日本語の語順通りに作られていることが多く、券売機や湯沸かし器、食洗機などがそれに当たると言えましょう。中国語で湯沸かし器は「烧水器」で、食洗機は「洗碗机」、券売機は「售票机」です。*改革開放期を過ぎても発券は人力ですることが多かったため、私が留学した1990年代の中国では、まだ券売機に該当する言葉が存在しませんでした。
明治期以降、日本から中国に輸入される言葉が増えていきます。中国共産党の共産党や共産主義さえ、日本語訳語からの輸入でした。改革開放期以降、日本語由来の語彙はさらに増え続け、外来語として定着していきます。中国でも語彙の意味が本来の意味と違ったり、語順が違った場合は、「日本伝来」を疑うことができます。