昨日、下記の記事を読みました。
何年か前、日本の民間企業の一部が、新卒の採用活動において、学生の学業成績を基準の1つとして利用していることを報道で知りました。
以前から、アメリカを中心とする外国の企業の多くは、学生の成績を採否の重要な基準としています。しかし、わが国では、これに倣う企業は、まだ少数派のようです。在学中の成績は、学生の能力を測定するための信頼に値する指標ではないと多くの企業は考えているのでしょう1 。
たしかに、大学の使命は、実務能力のあるすぐれた会社員を世に送り出すことでもなければ、学生をどこかの民間企業に押し込むことでもありません。私としては、この点を、声を大にして繰り返し強調したいと思います。
したがって、少なくとも現在のところ、民間企業にとっては、大学の教育には最低限の能力を保証するシグナリングの意味しか認められないことになります。学業成績は、学生一人ひとりの学問遂行能力を評価するものであり、すぐれた学業成績は、当の学生が卒業後に優秀な会社員になることをいささかも保証しません。この点に関するかぎり、わが国の企業の判断は合理的であると私は考えています。
冒頭に掲げた記事の筆者は、学生の成績評価を基準にして新卒の社員を採用する企業が増えることを期待しているようですが、大学と民間企業とのあいだの関係を考慮するなら、大学も企業も、採用活動に学業成績を利用することには、何の利点も見出すことはできないでしょう。私がこのように考えるのには、2つの理由があります。
第1に、上で述べたように、ほぼすべての民間企業が新卒一括採用において学生の成績を無視してきたのは、学生として優秀であることと会社員として優秀であることのあいだに明確な相関関係が認められないからです。しかし、学業成績をもとに採否を決める必要に迫られたなら、企業は、あるいは、財界は、大学に対し次のように要求し、圧力をかけるはずです。すなわち、学問遂行能力の点ですぐれた学生ではなく優秀な会社員になるはずの学生がよい成績を収められるよう、カリキュラムと成績評価のシステムを変更することを求めて大学に圧力をかけるに違いありません。相関関係が認められないのなら、大学に手を突っ込んで相関関係を作り出せばよい、企業や財界がこのような転倒した考え方に辿りつくのは自然なことでしょう。
もちろん、大学にとり、企業や財界の要求に従うことは、自己自身の存在理由の否定を意味します。
第2に、成績評価が就職活動の成否に大きな影響を与えるようになるとともに、大学は、学生からの強い圧力にさらされ、そして、成績評価のインフレーションが惹き起こされるはずです。いくらよい成績が欲しくても、そのために勉強する学生は少数派であり、大半は、勉強しなくてもよい成績が得られる授業に大挙して流れ込むはずです。
特に私立大学では、選択科目の開講や担当者の決定において、「履修者数」が基準となるのが普通です。担当する教員、特に非常勤講師には、履修者数が減る危険——つまり職を失う危険——を冒してまで成績評価をあえて厳格にする理由が見当たりません。その結果、成績の大盤振る舞いの競争が発生し、GPAの平均が上昇して指標としての意味を失うことになるはずです。
実際、すでにアメリカでは、大学のランクに関係なく、成績のインフレーションが発生しています。アメリカとは異なり、わが国では、学生による授業評価は、教員の人事に直接には影響を与えませんから、アメリカのようなひどいインフレーションは発生しないかも知れません。それでも、学業成績を採否において参考にする民間企業が増えるとともに、文部科学省の意向に反し、成績評価がその本来の意味を失うことを予想することは特に困難ではありません。
新卒一括採用において学業成績の利用を求めるなら、たとえば成績をすべて「相対評価」とする、大学のカリキュラムに財界の意向が反映されることがないよう、大学設置基準を見直すなどの対策が不可欠となるでしょう。
- ただ、最近は、それなりの数の企業が、内々定のあとで成績表を提出させているようです。しかし、これは、採用予定の学生が確実に卒業することができることをチェックするためであり、能力の測定のためではないはずです。 [↩]