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文章の冗漫について

by 清水真木

学部の卒論を書いていたころ、私は、文章を可能なかぎり短く簡潔にすることを心がけていました。しかし、その後、なぜか文章が急速に冗漫になったようです。

当然のことながら、簡潔な文章を書くというのは、書いている当の内容を適切に——つまり、その内容にふさわしく——表現することであり、長い文章を「圧縮」することではありません。

もちろん、一度出来上がった文章をいくらか圧縮する作業には、論旨を明確にする効用が認められます。この段落から5文字削って1行送り込み、次の段落から2文字削って1行送り込む・・・・・・、このような細かい圧縮作業は、冗漫を避けるためには必要なことであるには違いありません。また、このような作業が結果として文章を簡潔にすることに役に立つ場合が少なくありません。

とはいえ、ある程度以上知的な日本語の文章は、いわゆる「ゾンビ名詞」(zombie nouns) を多用することにより、簡単に圧縮されてしまいます。そして、ゾンビ名詞を使って文字数を減らしても、文章は簡潔にはなりません。(下に続く)

また、このようにして出来上がったものは、圧縮の度が過ぎると、「簡潔な文章」ではなく、単なる「文字数が切り詰められた文章」「圧縮された文章」にすぎないものになってしまいます。私は、学部生のころに文章を簡潔にすることを目指していましたが、今から振り返ると、日々実際に努力していたのは、文章の高度な圧縮の作業でした。自分では認めたくありませんが、このような作業の結果として身についたのは、簡潔に書く技術ではなく、決められた文字数に文章を押し込む高度な技術だけであったような気がします。

私の文章が冗漫になってきたように見えるとするなら、それは、文章を無理に圧縮することをやめたからであるように思われます。もちろん、文章は、冗漫になることで必ずしもわかりやすくなるわけではありません。実際、冗漫な文章は、繰り返しが多く薄味であるという印象を読み手に与えるのが普通です。

また、冗漫な文章が好まれないのは、格調が低いせいかも知れません。すでに『枕草子』には、「下衆の言葉にはかならず文字あまりたり」と記されており、簡潔な表現は格調が高く、冗漫は下品であるという評価が——一般的とは言えないとしても——自然に受け容れられうるものであることがわかります。

私の文章がわかりやすいかどうか、これを決めるのは私ではなく読み手以外ではありえません。それでも、文章に関しては、簡潔と適切と格調が一体であることを自覚しつつ、少なくとも、清少納言から「下衆」に分類されない程度の格調を目指して努力したいといつも考えています。

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