明治大学に勤めるようになってから、謎の光景をいくつも教室で目にしてきました。そして、これらのうち、現在でも完全には理解することができないものの1つに、「暗闇に坐っている学生」というものがあります。
1限の授業のために早めに教室に行くと、教室の照明がついていないことがときどきあります。カーテンが下ろされていると、教室は完全な暗闇となります。
このようなとき、私は、学生がまだ誰も教室に来ていないのであろうと考え、教室に入るとすぐ、ドアの近くにあるスイッチを押して照明を点灯させます。すると、驚くべきことに、明るくなった教室に、数人から数十人の学生がすでに着席していることが少なくないのです。彼ら/彼女らは、しばらくのあいだ暗闇に坐って何かを待っていたことになります。
私は、何年かに1度、このような光景に出会います。そして、そのたびに驚くとともに、2つの疑問が心に浮かびます。
(1)そもそも、私には、スイッチを押して照明をつけたりカーテンを開けたりすることで教室を明るくする学生がいない理由がわかりません。もちろん、(2)学生たちが暗闇の中で一体何をしていたのかということもまた、私にとっては謎です。
今のところ、私は、学生が暗闇に坐っていた理由を次のように推測しています。すなわち、学生たちは、自分たちが大学の「お客さま」であると勘違いしており、そのせいで、「スイッチを押して教室を明るくするのは自分の仕事ではない」あるいは「学生がスイッチを操作してはいけない」と思い込んでいるのではないか、私はこのように考えています。
そこで、このような光景を目にしたときには、次のように簡単に説明することにしています。
みなさんは大学にとって「お客さま」ではありません。みなさんは、在学している期間中、責任ある一員として、大学の施設を教職員および他の学生と共有していると考えてください。
この曜日時限には、この教室はみなさんのものです。したがって、この教室の環境を授業にとって好ましいものにする義務はみなさんに課せられています。
教室が暗いと思うのなら、照明をつけたりカーテンを開けたりして明るくしてください。教室が寒ければ暖房を入れるよう大学に要求してください。このような行動に誰の許可も要りません。
なお、この点は、この授業だけではなく、卒業するまでに出席するすべての授業で使われる教室について同じです。
このようなことを話すと、その授業に関するかぎり、同じ年度中は、「真っ暗な教室の照明をつけると、そこに何十人もの学生が黙って坐っていた」という異様な事態が発生することはなくなります。教室の環境を「他人事」と捉えるのをやめるのでしょう。(ありがたいことに、明治大学では、1度の説明で学生の態度が変わります。)
授業に対する学生のコミットメントは大切ですが、それとともに、当然のことながら、学生には、授業のための環境にコミットする責務があります。ある意味において「周辺的」な問題に関する啓蒙というものにもまた、無視することのできない意義があると私は考えています。