私は、東京生まれ、東京育ちです。したがって、いわゆる「方言」を知りません。もちろん、私が話す言葉は「東京方言」であると言えないことはありません。ただ、私には、「東京方言」を使って生活しているという自覚はなく、また、私が普段の生活において用いる言葉は、「東京方言」と完全に一致しているわけでもありません。
ただ、人生の大半を東京において、しかも、東京出身の人々に囲まれて過ごしてきた私の環境は、言語に関するかぎり多様性に乏しいと言うことができます。そして、おそらくそのせいなのでしょう、地方に出かけても、その土地に固有の言葉遣いを覚えられないことが少なくありません。
私は、1998年10月から2008年3月まで、広島大学に9年半勤務しました。しかし、地元の人々が地元の人々とのコミュニケーションで使う広島弁は聴き取ることができるようにはなりませんでした。何かを質問されても、質問されていること以外は何もわからない、ということも何度かありました1 。
私にかろうじて理解することができたのは、大学の内部で通用しているピジン言語——いわば「ピジン広島弁」——だけです。大学関係者のうち、広島に何らかの地縁があるのは全体の半分程度にすぎません。したがって、学内では、主に「共通語っぽい広島弁」や「広島弁ぽい共通語」が使われていました。しかも、これについても、細部まではわからないことが少なくありませんでした。
たとえば、「・・・・・・しとるけん」と「・・・・・・しよるけん」は、いずれも、広島弁による口頭のコミュニケーションで繰り返し用いられる文末表現です。私自身、これら2つを数え切れないほど耳にしました。
しかし、これら2つのあいだには、意味に多少の違いがあるようなのですが、地元の人々がこれら2つを区別していたらしいことに私が気づいたのは、ごく最近、広島を離れて10年以上経ってからのことです。かつては、両者に違いがあるなど、思いもよらないことでした。
この区別がわからなかったせいで、私は、意思疎通に繰り返し失敗してきたに違いありません。
ある言語や方言が主に使われている環境に身を置いても、これを身につける意欲がなく、「コツ」がわからないと、当の言語や方言を完全には理解することができないまま、しかし、「完全にはわからないことが気にならない」という状況へと陥り、そして、この状況に居直ってしまいます。そして、わからないことが気にならなくなると、これを克服し、支配的な言語あるいは方言を十分に身につけることは容易ではありません。私自身は、その途をまだ見出していません。これは、言葉の習得における最大の障碍の一つであるように思われます。
- 沖縄を訪れたときにも、同じようなことを経験しました。 [↩]