Home 言葉の問題 「では無く」「する様に」「した時」「と言う事だ」「と言う物ではない」・・・・・・(前篇)

「では無く」「する様に」「した時」「と言う事だ」「と言う物ではない」・・・・・・(前篇)

by 清水真木

 昨日、ネットで次の文章を読みました。日本語には、漢字を用いて表記することができないわけではないものの、現実には漢字ではなく平仮名による方が好ましいと考えられる表現があります。この記事は、このようなタイプの文字列をまとめて取り上げ、使用の基準とともに解説しています。

 漢字でも平仮名でも表記することができる場合、どちらが自然に感じられるかは、品詞により、文脈により区々です。私自身は、独立性の乏しい語句には漢字を使わないように心がけています。私の基準は、上の記事が示しているものよりもいくらか「漢字寄り」ではありますが、大体において同じようなものです。(読み間違いを何が何でも回避しなければならず、かつ、その手段が平仮名による表記以外にないのなら、上に掲げた記事のような基準によることが絶対に必要となるでしょう。)

 そもそも、日本語が文字を獲得して以来、現代ほど漢字が多用されている時代はないはずです。私の記憶に間違いがなければ、すでに1980年代の半ば、ワープロが普及し始めたころには、手書きの機会が減るとともに漢字の不必要な使用が増え、放っておくと漢字だらけになるという予想が社会の広い範囲に共有されていました。

 多量の文章を日常的に手書きする人なら、時間と体力の節約のため、漢語を避け、平仮名や和語でこれを代用する工夫を不知不識に試みているはずです。画数の多い漢字は、書くのに時間がかかり、手が疲れます。文章の流れが止まってしまう危険すらあります。これに対し、ワープロなら、何画の漢字であろうとも、画面に一瞬で表示することが可能であり、漢字を忌避する理由がなくなります。

 私は、1980年代末にワープロを使い始め、1990年代後半にはパソコンに切り替えました。学部の卒論——私は2回執筆しています——と修士論文はワープロで、博士論文はパソコンで書きました。しかし、その後、思うところがあり、2000年代前半には、文章をすべて手書きに切り替えていました。私のこれまでの著書のうち、『知の教科書 ニーチェ』(2003年)(=『ニーチェ入門』(2018年))と『友情を疑う』(2005年)の原稿は、両方とも、200字詰め原稿用紙に万年筆で書きました。(後篇に続く)

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