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問題としての非常勤講師について

by 清水真木

この文章は、以下の3点を内容としています。

  • 非常勤講師の給与は、もともとは謝礼や車代という扱いだったため、それによって生計を立てる者にとっては不十分である。
  • 非常勤講師は、任用時には研究者としての条件が求められるが、実際には研究者として扱われないことが多く、ここに大学の理念と現実の矛盾が存在する。
  • 労働者として扱うか研究者として扱うか、どちらの選択にも問題があり、制度の改善が非常に難しい。

 昨日、次の記事を読みました。



 以下の話は、この判決をめぐる直接の感想ではなく、これに関連する事柄についての見解です。

非常勤講師の給与は高いのか、安いのか

 従来から、大学の非常勤講師に支払われる給与は決して高額ではありませんでした。というのも、そもそも、明治時代に日本の大学において「非常勤講師」なるものが誕生したとき、これは、生活費を稼ぐために従事する労働とは見なされていなかったからです。

 非常勤講師というのは、主となる何らかの生業をすでに持つ者を大学に招聘して(その大学の専任教員が持たない)専門的な知識を披露してもらうために大学が用意する身分であり、したがって、その給与には、基本的には「謝礼」あるいは「車代」としての意味しかありませんでした。給与の水準は、「非常勤講師がこれで生活できるかどうか」ではなく、「謝礼あるいは車代として適当かどうか」という観点から決められたに違いありません。

 しかし、現在の大学の非常勤講師の多くは、別に生業を持つ者ではなく、非常勤講師によって生計を立てています。また、彼ら/彼女らは、みずからが担当する授業において専門的な知識を披露しているわけでもありません。のちにあらためて述べますが、非常勤講師の相当部分は、1年生あるいは2年生の外国語科目の担当者として雇用されています。つまり、非常勤講師というのは、大抵の場合、専任教員の不足を補う単なるパートタイマーにすぎないのです。明治時代から維持されてきた給与の水準は、明らかに現状にはふさわしくないと言うことができます。

 現在、わが国の大学の非常勤講師の給与は、1ヶ月で平均すると、安いところで1コマあたり約20000円、高いところなら約35000円になるはずです1

 これは、物理的に拘束される時間(月に8時間から10時間)との関係ではそれなりに妥当であるように見えます。ただ、授業の準備や採点などの周辺的な作業に費やされる時間(授業時間よりも多いのが普通)を考慮すると、この水準では決して十分とは言えない、いや、場合によってはむしろ安すぎるかも知れません。たしかに、これは中途半端な水準であるように思われます。

 そして、この「物理的な拘束時間の割には高額だが、これだけで生計を立てるのには明らかに不十分」という中途半端な給与の設定は、理念と現実に挟まれた大学が迷い込んだ袋小路に根を持つものであるように私には思われます。



 それでは、非常勤講師2 の何が問題なのか。

 これをお話しするに先立ち、1点、御了解いただきたいことがあります。私が勤務する明治大学では、この文章を書いている2025年2月現在、「兼任講師」(明治大学は非常勤講師をこのように呼びます)は、5年間続けて勤務したあと、本人の申し出によりそのまま「無期転換」されます。また、明治大学は、兼任講師をすべて直接雇用しています。さらに、私自身、他の複数の大学で非常勤講師として授業を担当した経験がありますが、その際の私の身分は、すべて直接雇用の非常勤講師でした。したがって、最近になってその数を増やしてきた「業務委託」の形態で採用された非常勤講師の勤務の実態について、私は具体的なことを知りません3 。したがって、話を続ける先立ち、細かい部分において誤解が含まれる可能性があります。この点を御了承ください。

「非常勤講師」は「研究者」なのか

 さて、現在のわが国の高等教育制度のもとでは、非常勤講師は、大学によって2つの必ずしも相容れない役割を与えられています。すなわち、非常勤講師は、ある場面では、「研究者」としてふるまうことが求められるのに、別の場面では、「研究者」とは見なされません。もう少し具体的に言うなら、次のようになります。

非常勤講師になるためには「研究者」でなければならない

 一方において、大学は、誰かを非常勤講師として新たに任用するとき、その候補者に対し、担当する予定の科目にふさわしい「研究者」であることを要求します。

 よほど特殊な科目でないかぎり、担当予定者は、たとえば「大学院博士課程修了あるいはそれと同等の学歴、3点以上の公刊された学術論文、高等教育機関における1年以上の教歴」というような最低限の条件を満たさなければなりません。(専門分野や大学によって多少の違いはあると思いますが、私の印象では、これは、「助教」の任用の条件とほぼ同じです。)

 したがって、たとえば1年生を対象とする外国語の授業を担当する非常勤講師——非常勤講師の中でもっとも数が多いのがこれです——の任用において必要なのは、学歴や業績や教歴であることになります。どのような大学も、非常勤講師の任用にあたり、(どれほど簡略された形であっても)業績の審査を必ず行います。

 また、外国語学校に長年勤務して十分な教育実績がある人物であっても、各大学がその都度設定する学歴と業績の点で最低限の条件を満たさないかぎり、非常勤講師に任用される可能性はありません。非常勤講師になるためには、(業務委託の場合については知りませんが、少なくとも直接雇用の場合、)授業の内容とは関係なく、大学という制度の内部において最低限の実績を積んだ研究者(「民間研究者」や「独立研究者」ではなく)でなければならないことになります。

非常勤講師は「研究者」としては扱われない

 しかしながら、非常勤講師になるためには研究者であることが必ず要求されるにもかかわらず、他方において、どの大学においても、非常勤講師は、その大学に所属する研究者には数えられないのが普通です。すなわち、ある大学に所属する研究者とは、原則として「常勤」の研究者、つまり専任教員(教授、准教授、講師、助教など)だけです。(大学に所属する「常勤」の研究者の定義については、最近の大学設置基準の改正において目立つ変更がありましたが、この変更は、「非常勤」講師の身分にはかかわりません。)

 非常勤講師は、大学から研究費の配分を受けないばかりではなく、科学研究費補助金に代表される競争的な研究資金の申請も困難です4 。非常勤講師に研究者番号を割り当て、常勤の研究者たちと同じ条件で競争的資金を獲得することができるようになるなら、人文科学については、研究全体のレベルが大きく引き上げられるはずです。少なくとも私はそのように信じています。

2つの選択肢

 これまで述べてきたように、大学という制度の内部において、非常勤講師は、研究者であることを要求されながら、それとともに、研究者としては処遇されてきませんでした。私の目に、非常勤講師は、大学の理想と現実の制度のあいだに生まれた隙間に落ちた存在として映ります。理想と現実に挟まれて身動きがとれなくなった大学の現状を明瞭に映し出す存在であると言うことも、あるいはできるかも知れません。

 なぜなら、誰が考えても明らかなように、非常勤講師をめぐるこの二重性を解消するには、(1)非常勤講師に研究者であることを求めるのをやめるか、あるいは、(2)非常勤講師を「非常勤」の研究者として扱うか、これら2つ以外に可能性はありませんが、しかし、それとともに、(a)非常勤講師に研究者であることを求めるのをやめるなら、それは、大学の理念の自己否定を意味し、他方において、(b)非常勤講師をあくまでも研究者として扱うなら、大学が現実の厳しい試練にさらされることは避けられないからです。以下、少し具体的に補足します。

 たとえば、1年生を対象とする外国語科目のように、担当者の専門分野と授業内容のあいだに直接の関係が認められないように見える場合、非常勤講師の任用にあたり学歴や業績の審査をすべて廃止し、非常勤講師を単なる「労働者」として雇用することは一つの可能性です。非常勤講師に学歴と研究業績を求める現在の慣行が崩れるなら、その延長上には、1年生の語学教育を外国語学校に丸ごと外注する大学が姿を現すかも知れません。

 しかし、下のリンク先の2つの文章で詳しく述べたように、私は、非常勤講師のこのような労働者化は、非常勤講師にとって好ましくないばかりではなく、何よりもまず、大学における授業の理念5 の放棄であり、一種の自殺行為であると考えています(が、残念ながら、一部の大学は、この方向へと歩みを進めているように見えます)。

 けれども、非常勤講師を研究者として扱うこのもまた容易ではありません。現在でも、(少なくとも直接雇用の場合、)大学は、非常勤講師にも研究リソースをいくらか開放している——図書館、データベース、オンラインジャーナル、コンピューターなど——のが普通です。しかし、こうしたリソースは無限ではなく、どの大学も、リソースの維持に必要なコストの削減に努力しています。

 ところが、非常勤講師のリソースへのアクセスを無制限に認め、少なくとも研究活動において専任教員と同等の資格を与えるなら、たしかに、(大学の授業はみずから研究に従事する者が行うべきであるという)理念は守られますし、非常勤講師の経済状況もまた多少は改善されるかも知れませんが、その代わり、当然、大学の経費は大幅に増えます。そのコストには、金銭ばかりではなく、非常勤講師の研究者としての質を維持するための手間もまた含まれるでしょう。

 そして、このような負担を強いられるようになれば、多くの大学、特に大都市圏にある大学は、カリキュラムの変更によって授業の総数を減らすことにより、非常勤講師の数を少しずつ減らそうとするかも知れません。



 非常勤講師が置かれた立場は曖昧です。この曖昧な立場は、大学という制度における理念と現実の乖離の反映であり、しかも、この乖離を解消することは容易ではありません。非常勤講師の現状が決して好ましいものではないとしても、今後、現状が改善することはあまり期待することができないのではないか、私にはこのように思われます。

  1. 私立大学は、非常勤講師の給与を原則として「月給」として支払います。したがって、授業がない8月や3月にも給与が支払われます。これに対し、国立大学は、給与を「時給」で支払うため、国立大学のみで授業を担当する非常勤講師の場合、8月や3月の給与はゼロとなります。私が本文で述べた「20000円から35000円」というのは、1年間の報酬全体を12等分した金額を指します。 []
  2. 以下で「非常勤講師」という言葉を用いるときには、特に断らないかぎり、本務校を持たず、非常勤での授業の担当という形でのみ大学とかかわる非常勤講師、いわゆる「専業非常勤講師」を意味します。 []
  3. そもそも、言葉の普通の意味における「業務委託」なるものが大学の授業に馴染むのものなのかどうか、この点について、私は素朴な疑問をひそかに抱いています。 []
  4. 科研費の申請には、「所属機関」、および日本学術振興会が発行する「研究者番号」が必要となります。すべての非常勤講師に研究者番号を付与することは、制度上は可能ですが、現実には、わが国の大学はほぼすべて、非常勤講師には研究者番号を割り当てていません。本務校を持たないいわゆる「専業非常勤講師」であるにもかかわらず研究者番号——これは、いわば「一生もの」です——を持っているのは、過去に常勤の研究者としていずれかの機関に所属していた者(日本学術振興会特別研究員を含む)だけです。 []
  5. これについては、上のリンク先で説明しています。 []

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2 comments

Kenzo 2025年2月18日 - 9:05 PM

はじめまして。

既に大学という環境で教育と研究を行おうという努力を止めて10年以上経過しました。
非常勤講師として研究活動を行い,その後常勤を探した経験からのお話を少々。

大学からの研究費や競争的研究費が無かったので,自分の研究は自分で研究資金を調達していました。自分の資金だけでは交通費程度しか出ないので,そうした研究費をお持ちの他の大学との共同研究を提案し,企業を回って予算を獲得していました。他の常勤の教員が作成していた競争的研究費の申請資料作成のお手伝いもしていましたが,自信の研究を効率的に提案するのは競争的研究費獲得よりも難しかったと記憶しております。

しかし,生活の糧を得るコンサルタントやそうした研究活動が「研究者らしくない,ちゃらちゃらしている」と言われたことも多く,事実その後に常勤を得るための公募の面接でもはっきり言われました。

では,どうやって研究をすすめるのが正しかったのか?

教育は,専門領域の哲学・倫理学と関係法規領域でした。
運よく博士号は取得できましたが,研究は途中で断念しました。
共同研究者とスポンサーには引き止められましたが,大学の道を諦め,サラリーマンに戻りました。この経験からの学びは,研究という「ムラ」には途中からは入れて貰えないということになります。恩師がお亡くなりになったお別れの宗教行事にて,当時の関係者に無視されたりと,今では自分がやった研究成果と教育成果以外は苦い思い出です。

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清水真木 2025年2月19日 - 7:35 AM

 コメントありがとうございます。

 大学における人文系の研究というのは、21世紀になってから欧米を中心として全世界的にシュリンクしつつありますし、また、御存知のように、特に日本では、大学そのものが衰退産業です。
 このような潮流の中で大学にとどまっていると、研究についても教育についても、「哲学いらない」「人文学いらない」などという声があちこちから聞こえてきて、そのたびに神経をすり減らされます。
 哲学の関係者の中には、Kenzoさんのような活動を嫌う研究者が一定数いることは確かですが、大学の専任教員だからと言って、研究と教育に専念できるとはかぎりません。むしろ、アカデミアや学界の外部にいる人々の方が生産的だったりすることもあります。
 Kenzoさんはこれまでずいぶん御苦労なさったようですが、御自身の選択を「アカデミアにはこだわらないことにした」「フリーハンドでものを考える余地を得られた」と前向きに捉えてもらえれば、古手の一研究者としては幸いです。

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