私は、これまでの人生において、奨学金なるものを受給したことがありません。申請をしなかったのではまく、選考に落選し続けたのです。学部の1年、3年、2度目の3年(学士入学したからです)、修士の1年の合計4回申請し、すべて不採択でした。
私が学部生、大学院生の時代には、現在の日本学生支援機構は、まだ「日本育英会」と呼ばれていました。そして、「奨学金」という言葉から多くの人が連想するのは、この日本育英会の奨学金でした。
日本育英会の奨学金は、建前としては貸与型でしたが、「免除職」に該当する教育研究職に就くと、奨学金の返還が免除されることになっていました。そのため、博士課程に進学して研究者になるつもりの学部生、大学院生は、ほぼ全員が日本育英会の奨学金の受給を申請していたはずです。
また、私よりも上の世代——今なら60代以上の人々——では、日本育英会の奨学金の受給は、基本的に成績順だったようです。日本育英会の奨学金の受給者となったという事実は、それ自体として、学力の証明であったことになります。
受給者が成績順に決まるかぎりにおいて当然のことですが、日本育英会の奨学金を受給している方が、修士課程から博士課程へ進学する可能性が高く、また、専任のポストに早く就くことができました。そのため、「日本育英会の奨学金をもらっているかどうか」は、学力を簡便に確認する質問として、各種の面接において尋ねられることが多かったと、私は上の世代の方々から聞いています。
しかし、私の学生時代には、これとは状況が異なり、日本育英会の奨学金の受給者は、主に家計の事情にもとづいて決まるようになっていました。つまり、奨学金をもらうためには、何よりもまず「貧乏競争」に勝たなければなりませんでした。実際、申請書は、奨学金を必要とする経済的な事情について詳細に説明するよう求めていました。
そして、奨学金の受給者が「貧乏競争」で決まるなら、生活保護の場合と同じように、「家族と一緒に戸建ての持ち家に住み、ここから通学している」などという学生に受給の見込みがないことは明らかでしょう。私自身、「親の収入が多すぎる」「普通に暮らせている時点で、すでに問題外」「固定資産税が払えるくらいなら、奨学金など要らないのではないか」などと窓口で言われたことがあります。(後篇に続く)