映画の誕生をいつ、どこに求めるか。これは、映画の本質を何に求めるかによって異なります。
「動く絵」を映写することを映画の本質と見なすなら、エジソンが1893年に考案した「キネトスコープ」から映画が始まったことになるでしょう。いや、それ以前に、19世紀半ばにはすでに技術が確立していた「パラパラ漫画」に映画の起源を求めることができるかも知れません。
しかし、大抵の場合、映画の歴史を語る試みは、映写の技術よりも、むしろ、映画の観念を手がかりにその起源を遡ります。この場合、観客が映画を鑑賞するために上映用の施設に赴くこと、上映される作品が広い意味における「エンターテインメント」あるいは「芸術」であること1 などが映画を映画から区別するための具体的な標識となります。そして、この観点から歴史を眺めるなら、「最初の映画」と見なすことができるのは、1895年にリュミエール兄弟によってフランスで製作され、上映された「工場の出口」ということになります。また、映画の誕生が1895年のことであるなら、映画には、現在まで130年近い歴史が認められることになります。
「映画の歴史」というテーマについては、これまで、膨大な量の文献が執筆され、公刊されてきました。映画の歴史全体が主題的に取り上げられることもあれば、「イタリア映画史」「フランス映画史」「1930年代のドイツ映画」「東映の時代劇」「ベルイマン」「キューブリック」などのようにテーマを狭く限定したモノグラフィーもまた、決して少なくはありません。映画の歴史を語る言葉が映画の歴史を「製作」する言葉に他ならないとするなら、「映画に歴史はあるか」は愚問と見なされなければならないことになります。
しかし、映画の歴史については、ある不思議な——そして、見方によっては残念な——事情があります。そして、この事情のせいで、映画の歴史を語るために費やされてきた言葉が膨大であるにもかかわらず、映画に歴史があることは決して自明ではないように私には思われます。
映画の製作や興行に携わる少数の人々を例外として、私たちは、映画に対し観客として態度をとります。そして、観客にとり、映画の歴史を知ることの意義は、映画を適切に評価することができるようになる点にあります。映画に関するかぎり——演劇や音楽についても事情は同じでしょうが——作り手の態度が「歴史的」であることを観客に見せることは必要ではない2 としても、観客の側の作品への態度は、何らかの意味においてつねに「歴史的」であるのが適当であることになります。これが、よい映画を悪い映画から区別し、適切に評価することの意味であり、過去の経験から学ぶことの意味でもあるのです。(中篇に続く)
- 実際、映画は、伝統的な芸術を形作る6つのジャンル——詩、音楽、演劇、建築、絵画、彫刻——に続く7番目のジャンルと見なされ、「第7芸術」などと呼ばれることがあります。 [↩]
- 過去の「名作」からの「引用」が作品のいたるところに姿を現し、また、引用を引用として受け止めないとストーリーを把握することができなくなるような「難解」な作品——たとえばゴダールのような——は、いくらでも読み返しが可能な文学作品の場合とは異なり、映画では決して好ましいことではないと私は考えています。 [↩]