※この文章は、「映画史の暗黒時代について(前篇)」の続きです。
作品のこのような選別が繰り返されることにより、映画をめぐる評価は次第に洗練されたものになり、そして、作品の方もまた、これに応じて洗練されたものになって行くはずです。この事態を大雑把に表現するなら、映画の歴史を語ることに実際的な意義があるとするなら、それは、洗練された趣味を具えた「通」を増やし、作品の質の向上を促すことにあると言うことができます。
ところが、不思議なことに、現実の「映画鑑賞」の場面では、評価の洗練が必ずしも認められません。具体的に言い換えるなら、「批評家が喜びそうな映画」と「興行成績がよい映画」とのあいだの距たりは、解消されないばかりではなく、反対に、時間の経過とともに大きくなっているようにすら見えるのです。(映画賞を受賞するような作品は興行成績の点でまったくふるわず、反対に、批評家が見向きもしないような作品が大量の観客を動員するようになっている、ということです。)
もちろん、過去においても現在においても、映画を観る経験を積み、それぞれの作品を評価する歴史的なパースペクティヴを具えた観客、つまり「通」がいないわけではありません。しかし、その規模に変化はなく、劇場公開される映画の興行成績との関係では「前衛」にとどまります。これは、少なくとも私の理解では、(音楽、演劇などを含む)広い意味における同種の産業の中では、映画のみに認められる特異な現象であるように思われます。
しかし、映画の歴史を振り返るなら、作品の「品質」と「興行成績」のあいだの平均的な距離がつねに現在のように大きかったわけではないことがわかります。むしろ、映画史全体のうち、その誕生から3分の2の時期においては、興行成績のよい作品と歴史的名作が大体において一致していました。
たとえば、今からちょうど50年前、1972年の1年間の興行収入の全世界ランキングは、下記のサイトによれば以下のとおりです。
- 「ゴッドファーザー」
- 「ラストタンゴ・イン・パリ」
- 「フリッツ・ザ・キャット」
- 「ポセイドン・アドベンチャー」
- 「おかしなおかしな大追跡」
- 「ゲッタウェイ」
- 「グリーンドア」
- 「大いなる勇者」
- 「脱出」
- 「ディープ・スロート」
私自身は、決して映画通ではありませんが、それでも、10点ともタイトルは知っていますし、3.、7.、10.(いずれも成人映画)を除く7点は実際に観ました1 。
私の個人的な知識と経験の範囲では、作品としての歴史的な評価と興行成績のあいだの距離が広がり始めたのは1977年、きっかけとなったのは「スター・ウォーズ」であるように思われます。
「スター・ウォーズ」は、アメリカでは1976年2 に公開され、1977年の興行成績が世界1位となった作品です3 。(後篇に続く)
- 念のために言うと、すでに1972年に私は生まれていましたが、当時は4歳でしたから、リアルタイムで観たものは1つもありません。 [↩]
- この年の興行成績世界1位は「ロッキー」です。 [↩]
- なお、この年の世界12位には、ウッディ・アレンの「アニー・ホール」が入っています。現在から振り返ると、アカデミー賞で4部門を受賞したとはいえ、この地味な恋愛映画、しかし、間違いなく歴史に残る名作が、大量の観客を動員していたことに小さな驚きを覚えます。 [↩]